クレオパトラとギャバジン

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クレオパトラは、お美しいお人だったそうですね。
「クレオパトラか楊貴妃は、さては小野小町か」。なんてことを言ったんだそうです。世界三大美人。「異議あり。私のこと忘れてない?」という現代女性もいらっしゃるのでしょうが。
フランスの大哲学者、パスカルも言っております。
「もしクレオパトラの鼻が低くかったなら、世界の様相は違ったものになっていただろう。」あのパスカルでさえ、そんなことをおっしゃるものだから、ますますクレオパトラの美貌の夢はふくらむばかりであります。
しかし。クレオパトラが生まれたのは、紀元前69年のこと。今からざっと二千年前のことであります。二千年前には、写真がなかった。あたり前の話ですが、クレオパトラの映像は存在しません。わずかにコインに刻まれたクレオパトラの肖像があります。でも、これにも異説があって、しかとクレオパトラであると、断言できないのです。結局、クレオパトラの美貌は夢の中に活きている、のかも知れませんね。
しかし。クレオパトラの美貌とは別に、クレオパトラが「美」を追求したお方だったのは、事実のようですね。クレオパトラには、側近の侍女がふたり居た。カルミオンと、イラス。クレオパトラはカルミオンとイラスとに命じて、磨きに磨きをかけさせたらしい。
クレオパトラの時代にはたいて「カラシリス」という薄く、透けるドレスを一枚羽織った。クレオパトラのカラシリスは、中でも特別に、薄く、上質であったとか。カラシリスの素材はリネンで、これに凝った襞をあしらったものです。
また、カルミオンはクレオパトラのために、特別の香料を配合した。つまりですね。当時、実際にクレオパトラに近づくと、それはそれは悩ましく、とても佳い薫りが漂った。並の男なら誰もが、くらくらとしたでありましょうね。
クレオパトラは今なお霊験あらたかで、店の名前にも「クレオパトラ」があったりします。井上友一郎の、『銀座川』にも「クレオパトラ」が出てきます。

「自然「クレオパトラ」へ飲みにくることが少なくなった。」

もちろん、銀座のバアの名前なんですね。『銀座川』には、こんな描写も。

「掘は、商賣が洋服屋だから、ギャバジンだのブロードなどと喋り出すと………」。

ギャバジンは、はっきりとした綾織地。よくレイン・コートなどにも。ただし、コットン・ギャバジンの他、ウール・ギャバジンもあって、その用途は広い。
ウール・ギャバジンのスーツなんかも、着てみたいですね。

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