ガーシュインとトレンチ

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ガーシュインの曲は、いいですよねえ。もちろんアメリカの作曲家、ジョージ・ガーシュイン。たとえば、『サマータイム』とか。たとえば、『巴里のアメリカ人』とか。そして、『ラプソディー・イン・ブルー』。
『ラプソディー・イン・ブルー』の題名を思いついたのは、お兄さんのアイラ・ガーシュインだったそうですね。ある日、絵の展覧会を観ていたアイラがふっと、『ラプソディー・イン・ブルー』の題が浮かんだんだとか。
『ラプソディー・イン・ブルー』そもそもの発端は、ポール・ホワイトマン。ポール・ホワイトマンが、「アメリカ音楽とは何か?」を決めようとした。そこから巡り巡って『ラプソディー・イン・ブルー』が生まれることになったのです。
1924年1月4日のこと。ジョージ・ガーシュインが、『ニューヨーク・トリビューン』紙を読んでいると、ポール・ホワイトマンについての記事が。それが、「アメリカ音楽とは何か?」のコンサートの予告でもあったのです。ところがそこには、「ジョージ・ガーシュインも作曲中…………」と書かれていて。
驚いたガーシュインは、ポール・ホワイトマンに、電話。「新聞の記事はほんとうなのか?」
「もちろん、ほんとうだとも!」。で、ガーシュインは急いで作曲することになったわけです。結局、ホワイトマンの作戦勝ち。
1924年2月12日。ニューヨークの「エオリアン・ホール」で、「アメリカ音楽とは何か?」の演奏会は開かれた。でも、ポール・ホワイトマンは『ラプソディー・イン・ブルー』の練習はどこでしたのか。
NY 、四十八丁目の、「パレ・ロワイヤル」で。ここは当時、ポール・ホワイトマン楽団が出演していたナイトクラブ。ポール・ホワイトマンは、このリハーサルに、音楽評論家などを招いた。これもまた、ポール・ホワイトマンの、巧みな作戦だったのかも知れませんが。
それはともかく、当日、『ラプソディー・イン・ブルー』の演奏がはじまると、劇場の空気は一変したと、伝えられています。皆、拍手喝采、大好評。
1946年の日本で、『ラプソディー・イン・ブルー』を聴いた人がいます。アメリカ人の、マーク・ゲイン。マーク・ゲイン著『ニッポン日記』に詳しく出ています。

「私の大好きなガーシュインのピアノ・コンチェルトオが二度も演奏される『ラプソディー・イン・ブルー』だった。」

マーク・ゲインは戦後すぐに、日本に派遣された、記者。その頃は日比谷のプレス・クラブに住んでいたので。これは1月9日日の、日記に出ています。また、同じ年の2月4日には、長野の温泉、湯田中に出かけてもいます。

「暖いキモノを着てその上にトレンチ・コートを引かけてこたつにもぐりこんだ。」

1946年にアメリカ人が書いた「トレンチ・コート」としては、比較的はやい例でしょう。
それにしても、トレンチ・コートのなんと、応用範囲の広いことか。

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