エスポワールとエスパドリーユ

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エスポワール espoir は、フランスでは「希望」の意味になるんだそうですね。もっとも実際には、「レスポワール」l’espoir として使われることが多いんだそうですが。
エスポワールであろうとレスポワールであろうと、はたまた希望であろうと、美しい言葉ですね。『希望』という歌もありますし。以前、岸 洋子が歌って、絶賛を博した歌です。『希望』は必ずしも明るいだけの内容ではありません。でも、でも。岸 洋子の『希望』を聴くと、必ず元気にさせてくれるのです。特効薬ですね。
『希望』という歌があれば、『希望』という小説もあります。1937年に、フランスの作家、アンドレ・マルローが発表した物語。
アンドレ・マルローは1936年には、35歳で。スペインに内乱が起きると、すぐにスペインへ。1936年7月のこと。取材でもあったのでしょうが、自ら「国際航空隊」を組んで、その隊長にもなっています。まさに行動派の作家だったわけです。
1936年にスペインに行った作家に、ヘミングウェイがいます。ヘミングウェイと、マルローは、マドリッドのホテルで会っています。その時、マルローとヘミングウェイは、互いに誓った。「これはぜひ小説に書こう」と。
その結果に生まれたのが、『希望』であり、『誰がために鐘は鳴る』であったのですね。アンドレ・マルローの『希望』の中に。

「彼らは音もなく走った。ほとんど全部がエスパドリーユをはいていた。」

これはバルセロナでの住民の様子です。では、『誰がために鐘は鳴る』ではどうなのか。たとえばその第一章に。

「農夫の着る黒いスモックに、鉄みたいにごわごわの灰色のズボンをはき、縄底の靴をはいていた。」

「縄底の靴」。たぶんこれもまた、エスパドリーユであったと思われます。
エスパドリーユはエスポワールの生まれる靴ということに、しておきましょう。

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