ポーカーとピンク

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ポーカー・フェイスという言葉がありますよね。もちろんポーカーのカード遊びから出ているわけです。
ポーカーは一種の心理作戦で、相手の手の内をいかに読むかに、かかっているのですから。ワン・ペアがあり、トゥ・ペアがあり、スリー・カードがあって。今、相手がどんな役を作ろうとしているのか。単純といえば単純ですが、飽きることのないゲームでもあります。
『ポーカーの夜』という題目の芝居。いや、実際には『欲望という名の電車』のことなのですが。テネシー・ウイリアムズが『欲望という名の電車』を書いたのは、1946年のこと。その時にはテネシー・ウイリアムズは、『ポーカーの夜』の題にしようと思っていたそうですね。
テネシー・ウイリアムズはどこで『欲望という名の電車』を書いたのか。 ニューオーリンズで。ニューオーリンズに快適なアパートメントを見つけたので。ニューオーリンズには、テネシー・ウイリアムズの祖父も住んでいたこともあって。
では、テネシー・ウイリアムズはどんな風にして、『欲望という名の電車』を書いたのか。朝、はやく起きて。昼までの午前中に、猛然と書いたんだそうです。テネシー・ウイリアムズ著『回想録』に、そのように出ています。
朝、起きて、ブラック・コーヒーを飲みながら、書いた。昼になると、書くのはやめて、外に。「 ヴィクター」というバアへ。近くの「ヴィクター」に入って、カクテルのアレクサンダーを、飲む。ジュークボックスで、ジャズを聴きながら。食べるのは、サンドイッチ。サンドイッチを食べ終わると、ジムへ。
ニューオーリンズの、ノース・ランバート・ストーリートに、アスレティック・クラブがあって、泳ぐ。ここのプールは井戸水が引いてあって、とても冷たい水だったそうですね。
午後はたいてい、ドライヴ。その頃のテネシー・ウイリアムズは、ポンティアックを一台持っていたので。よく、祖父と一緒に遠出もしています。そして夜ははやくに寝て、早朝に起きだす。
そんな生活の中から、『欲望という名の電車』は生まれたらしいのです。もっともテネシー・ウイリアムズは戯曲だけを書いたわけではなく、小説もまた、書いています。たとえば、『 グリーン市のミス・コイントス』とか。この中に。

「彼はパッカードのなかでジーパンと西瓜の色に近いピンクの絹のシャツに着替える。」

シルクの、ピンクの、シャツ。いいですね。時には、ピンクのシャツも着てみたいものではありませんか。

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