春夫と鼻眼鏡

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春夫は、わりあい多い名前ですよね。たとえば、佐藤春夫。佐藤もよくある姓であり、春夫もよくある名前。でも、佐藤春夫となると、なぜか背筋が伸びる心地がします。
佐藤春夫は、あまりにも優れた詩人でありますから。

「佐藤春夫は詩人なり、何よりも先に詩人なり。或は誰よりも先にと云へるかも知れず。」

芥川龍之介は、『佐藤春夫氏のこと』と題する随筆の第一行を、このように書きはじめています。」

佐藤春夫に師事したお方に、井伏鱒二が。井伏鱒二にも、『佐藤春夫氏のこと』の随筆があります。この『佐藤春夫氏のこと』を読むかぎり、井伏鱒二は佐藤春夫の自宅を、七十二回訪ねています。それとは別に、お留守だったのが、六回だったそうですが。
井伏鱒二がはじめて佐藤春夫の家に行ったとき、富沢という友人と一緒だった。佐藤春夫の家を辞して、カフエに。カフエで富沢は井伏に言った。

「君は先生の前で、気をつけの姿勢でいたね。」

まあ、それくらいの人物であったのでしょう。
佐藤春夫の随筆に、『僕の鼻眼鏡』があって。佐藤春夫が終生、鼻眼鏡の愛用者だったのは有名ですが、それについて詳しく書いています。

「僕の鼻眼鏡も回顧すればふるいものである。」

これが、第一行。「もう十八、九年前になるであろう。」と。最初に買った鼻眼鏡は。
佐藤春夫が『僕の鼻眼鏡』を書いたのが、昭和七年。それを遡ること、十八、九年というのですから。大正二年頃のことでしょうか。佐藤春夫、二十一歳ころのこと。
では、佐藤春夫の最初の鼻眼鏡、どこで買ったのか。神田駿河台下で。「丸善」近くの眼鏡屋で。それは銀製の鼻眼鏡で、二円八十銭だった、と。余談ですが。その時代には、神田駿河台下にも「丸善」はあったのですね。
佐藤春夫はこれを手はじめに、「鼻眼鏡」について延々と語っています。たしかに鼻眼鏡ほどエレガントなものはありませんよね。
銀製の鼻眼鏡で、佐藤春夫の詩を読むのは、私の夢物語です。

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