カフェと片眼鏡

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カフェは今やなくてはならないものですよね。カフェではもちろんカフェが飲めます。本が読めます。手紙が書けます。瞑想に耽ることができます。まことに便利な空間だと言えるでしょう。
さて、カフェでは何を飲むべきか。必ずしもカフェばかりとは限りません。
たとえば、電気ブランを。カフェで飲む電気ブランがお好きだったのが、井伏鱒二。

「電気ブランはコップ一ぱい十銭といふのが普通の相場であるが、カフェ・トネでは一ぱい七銭で飲ます。」

井伏鱒二の随筆『カフェ・トネ』には、そのように出ています。昭和六年『都新聞』 二月二日号に発表された随筆なのですが。
ここからはじまって、その電気ブランをいかにして飲むのかを、えんえんと語っています。
カフェ・トネでは、受皿の上にコップを置いて、電気ブランを継ぐ、なみなみと。なみなみと注がれた電気ブランはコップからあふれて、受皿に。受皿もまた、あふれんばかりに。
さて、注がれたほうの客は、そのあふれんばかりの電気を、どのようにして口に運ぶのか。コップの電気ブランが先なのか、受皿の電気ブランが先なのか。さすがに小説家は観察が細かくて。
昭和六年は、1931年のことで。今からざっと90年ほど前のことではありますが。いつの時代にも粋な飲み方はあったのでしょう。
カフェが出てくるミステリに、『赤い絹の肩かけ』があります。1907年に、モオリス・ルブランが発表した物語。

「おそらく、バレーの踊り子か、カフェ・コンセールの歌姫だろう。」

もちろん、アルセエヌ・ルパンの科白なんですね。また、『赤い絹の肩かけ』には、こんな描写も出てきます。

「この小さなガラスの破片の縁のところには、小さな穴があいている、そして、片眼鏡というものは、元来が貴族趣味の持ち物だ…………………。」

これもまた、ルパンが口にする言葉。
人生の中で一度だけ、片眼鏡でカフェに行きたいものでありますが。

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