ブリヂストンとブレスレット

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ブリヂストンは、世界に誇る日本の企業ですよね。主に自動車などの、優れたタイヤなどを作っています。
ブリヂストンのはじまりは、昭和五年のことだとか。それ以前には、足袋屋。人の足に足袋が必要なら、自動車の足にはタイヤが必要だろう、ということだったのでしょうか。
はじめたのは、石橋正二郎。石橋を英語にすると、ストンブリッジ。ストンブリッジでは語呂が悪いので、「ブリヂストン」。ことほど左様、名前は大切なのであります。
石橋正二郎の長男が、石橋幹一郎。石橋幹一郎と結婚したのが、團 朗子。朗子と書いて、「さえこ」と訓みます。
團 朗子の兄が、團 伊玖磨なのです。團 伊玖磨は終生、「團」の姓を愛した人物でもあります。団の文字を排して、團を偏愛した。とにかく手紙の宛名に、「団」の字があったなら、読もしなかったという。
その團 伊玖磨が愛した国に中国があります。團 伊玖磨は何度も中国を訪ねています。中国での團 伊玖磨は、「段 伊玖磨」を名乗った。中国での團はちょっと都合の悪い文字だったから。
團 伊玖磨がはじめて洋行したのは、1954年の春のこと。この話は、團 伊玖磨著『パイプのけむり』に出ています。
1954年に外国に行くのは、簡単ではありませんでした。が、團 伊玖磨はなんとしても、本場のオペラを観ておきたかった。第一、洋行に持ち出せる金額は、350ドルまでと決められていたのです。
その難関を、團 伊玖磨は劇映画『にごりえ』の音楽担当者ということで、お許しを。

「夕食は三日に二日は抜いた。夜は木賃宿か駅のベンチで寝た。」

團 伊玖磨の随筆『パイプのけむり』には、そのように出ています。高額のオペラの切符を買うために。
團 伊玖磨は、ある時、デュセルドルフで、美事なブレスレットに目が止まる。値段を見ると、買えない金額でもなくて、ゴールドの素晴らしいブレスレット。團 伊玖磨は悩みに悩んだ末に、そのブレスレットを、買う。
日本に帰って、何年か経ってから。

「そして、それを買った夜に聴いたデュセルドルフのオペラ劇場での「ホフマン物語」の旋律をも思い起こさせた。」

と、書いたいます。
ほんとうに佳いブレスは、ほんとうに佳い買物は、そんなところにあるのかも知れませんね。

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