タンジールとタータン

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タンジールは、モロッコの都市のことですよね。現地では、「タンジェ」。これを英語訓みにして、「タンジール」となるんだそうです。
タンジールは、ラビリンスのような街。迷路に満ちた街。
その昔、「ピンカートン社」は、新人をタンジールに送ることがあったという。尾行訓練のために。タンジールで尾行に成功したなら、たいていの都市で尾行ができるようになるだろうから、と。
1947年以来、タンジールに住んだアメリカ人作家に、ボウルズがいます。ポール・ボウルズ。ポール・ボウルズは、1910年に、ニュウヨークに生まれています。
ポール・ボウルズは、もともと詩人を目指していて。1931年に、ガートルード・スタインと出会って。そこから、ジャン・コクトオを紹介されたという。
タンジールに住むボウルズをパリに引っ張りだしたのが、フランス人の、ダニエル・ロンドー。1988年のこと。その頃、「アポストロフ」というTV番組があって。有名無名の作家を登場させるので、人気のあった番組。
その「アポストロフ」に、ポール・ボウルズを出演させようと思ったのが、ダニエル・ロンドー。
その頃のボウルズは、「タンジールの隠者」。世間一般には半ば忘れられた存在になっていたのでが。1988年11月。タンジールからパリへ。
金曜日にTVに出て。土曜日には、パリで買物。ポール・ボウルズは300ドルのカシミアの部屋着を買ったという。パリには二泊しただけで、ふたたびタンジールへ。よほどタンジールがお気に召していたのでしょう。
タンジールを旅した人物に、ロラン・バルトがいます。ロラン・バルトは、フランスの哲学者。哲学者なんですが、モオドについても、言及しています。ただ、私にとってはあまりに難解すぎるのですが。

「テトゥアンの研修医アブデッサラムは、けさ、タンジールに来て (私は偶然彼に出逢う )………………」。

ロラン・バルト著『偶景』には、そのように出ています。また、同じくロラン・バルトの『喪の日記』に。

「だから、はじめて、色のついた ( タータンチェックの ) スカーフをつける。」

そんなふうに書いています。
それまでは「ママン」の喪に服していて、モノ・トーンの服しか着ていなかったので。そこに「ママン」の声が聴こえてきたので。
「明るい色を着なさい」と。
いつの日にか。タータンを何か身に着けて、タンジールに行こうと思ったことです。

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