エリックとエシャルプ

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エリックという名前は、少なくないですよね。たとえば、エリック・ギルだとか。
エリック・ギルは、英國の彫刻家。彫刻家の一方で、『衣裳哲学』の著書もあります。さらには、タイポグラファーの名手でもありました。
フランスにもエリックの名前は多くて。一例を挙げますと、エリック・サティ。エリック・サティの愛好家もまた、少なくありません。などと言っております当の本人もそうなのでありますが。
サティの曲は、『ジムのペディ』であろうが、『グノシェンヌ』であろうが、ではじめの何音かを聴いただけで、すぐに分かります。作者当てのクイズには不向きな作曲家であるかも知れませんね。
1920年に、エリック・サティは、『4つのささやかな歌曲』を作曲しています。文字通り、4つの短詩に曲をつけたものです。その中に、『別れ』があって。これは、レイモン・ラディゲの詩なのです。

隊長、降伏するなんて思わないでくれ
きみの古いハンカチを振ったとしても
これぞ習わしというもの
こうして過去の蠅を追い払うのが

レイモン・ラディゲは、1903年に生まれて、1923年に世を去っています。まさに、「天才は夭折する」を地で行ったような人物でありましょう。
レイモン・ラディゲに関心を持っていたひとりに、三島由紀夫がいます。事実、三島由紀夫には、『ラディゲの死』の短篇があるのですが。

「磨き出された貝殻のようだ」とコクトオは思つた。

三島由紀夫は『ラディゲの死』の中で、はじめてラディゲがコクトオに会った時の様子をそのように描いています。たぶん、ほぼその通りのことがあったのでしょう。
1919年頃のことです。ラディゲが、十七歳頃のことかと思われます。若き日のラディゲは、洒落者のコクトオに会ってから、服装が一変。

「いまや彼は片眼鏡にステッキを携え、マリン・ブルーの上着に白い手袋 ( さらにコクトーの持ち物だった白い絹のスカーフを巻いた)の、いっぱしのダンディだった。」

キム、スプリッジ、べアール共著の『評伝ジャン・コクトー』には、そのように出ています。
「白い絹のスカーフ」。フランスなら、エシャルプ éch arp e でしょうか。
なにか好みのエシャルプ を巻いて、サティの伝記を探しに行きましょうか。

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