スパックマンとスペンサー

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スパックマンは、フランス人の名前ですよね。1830年代に巴里で有名だった製本屋の名前でもあります。
1835年3月2日、バルザックの『ゴリオ爺さん』が、「ヴェルデ」から出版されています。この時の製本もスパックマンでありました。
それよりも前、バルザックはマダム・ハンスカに『ゴリオ爺さん』を献本しているのです。この時の製本もまた、スパックマンでありました。

「『ゴリオ爺さん』は目覚ましい成功を収めつつあります。」

バルザックはマダム・ハンスカに『r爺さん』を献本する手紙の中に、そのように書いています。マダム・ハンスカはその頃、バルザックの戀人だった人物です。
『ゴリオ爺さん』は単行本になる前、『パリ評論』に連載された小説だったからです。『ゴリオ爺さん』は連載当時から、一般読者からは好評だったのであります。が、一般読者の人気が高くなればなるほど、批評家たちの点は辛いものがありました。バルザックの個人的な生活の派手さをも取りあげて、徹底的に非難したのです。
バルザックはマダム・ハンスカの手紙の中で、『ゴリオ爺さん』は実質二週間で、睡眠を削って仕上げた。そんなふうにも書いています。
パリの本屋の前には、『ゴリオ爺さん』の入荷を待つ人で溢れた、そんなことも書いてあるのです。

バルザックが、1847年に発表した小説に、『従妹ポンス』があります。この『従妹ポンス』を読んでおりますと。

「スペンサーはその名前が示しているとおり、からだのかっこうの美しいのが自慢だったにちがいないある英国貴族が工夫してこしらえたものである。」

こんなふうにはじまって、バルザックは延々とスペンサーについて語っています。
「スペンサー」 spencer は、スカートのないフロック・コートのことです。
英国の第二代アール・オブ・スペンサーが考案したので、その名前があります。
スペンサー伯爵が暖炉の前で本を読んでいて、裳裾を焦がしたので、腰縫目から切り落とした。こうしてスペンサーが発明されたんだそうですね。
今、スペンサーはもっとも進化した上着ではないでしょうか。
どなたか完璧なスペンサーを仕立てて頂けませんでしょうか。

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