コンサートは、音楽会のことですよね。
演奏会のことであります。
concert と書いて、「コンサート」と訓みます。
英語のコンサートはラテン語の「コンチェレンター」と関係があるんだとか。
その意味は「一緒に歌う」だったという。
コンサートに似ているものに、「リサイタル」があります。
「リサイタル」recital は、「独演会」に近いのでしょうか。
「今一人利久鼠の着物のスラリとした痩削の女は、今日コンセルトに『顕世』を独唱した歌者で、」
明治三十一八年に小栗風葉が発表した長篇『青春』に、そのような一節が出てきます。
小栗風葉は、「コンセルト」と書いているのですが。
また小栗風葉は「歌者」と書いて、「ボカリスト」のルビを添えているのですが。
「コンセルト」にしても「ボカリスト」にしても、明治三十年代には、ハイカラな言葉だったでしょうね。
ヴォーカリストmいればピアニストもいるわけで。
「演奏会の日程が決まったら、本番の日から逆算して、その日に何をすべきかのプランを、綿密に立てます。」
千蔵八郞著『大ピアニストがあなたに伝えたいこと ー
100のレッスン』に、そのように出ています。
これはピアニストの、シューラ・チェルカスキーの言葉として。
うーん。何の世界にも「本物」はいるんでしょうね。
コンサートにも表もあれば裏もあるのでしょう。私たちはコンサートに行くと、客席に座って、音の波に身体を委ねる。
でも、その裏側では目に見えないプロの活躍が。
三好直樹著の『まもなく開演』に教えられたことなのですが。
たとえば、「トーン・マスター」。トーン・マスターとは、演奏会での音がより完全な形で客席に届いているかどうか。それの見張り役のことなんだそうです。
もちろん誰もがすぐにトーン・マスターになれるわけではありません。まずは「ボウヤ」からはじめて、音の勉強を。
「ボウヤ」は楽器を運ぶ若者のこと。ボウヤから音楽家になった人も少なくはないでしょう。
コンサートが出てくるミステリに、『オペラ座の怪人』があります。
1910年に、フランスの作家、ガストン・ルルーが発表した名作。
「コンセルヴァトワールのコンサートで演奏された『ヘラクレスの死』は、」
『オペラ座の怪人』にコンサートが出てくるのも当然のことではありましょうが。
また『オペラ座の怪人』には、こんな描写も出てきます。
「さらにタイツ姿の年少のクラスの少女全員を従えて、」
これはバレリーナの様子。
タイツは、英語。フランス語では、「コラン」collant 。
どなたか黒絹のコランを作って頂けませんでしょうか。