じゃがいもは、ポテトのことですよね。
でも、どうして、「じゃがいも」なのか。
昔むかし、「ジャガタラ」から伝えられたと考えられていたので。ジャガタラは、今のジャカルタのこと。
慶長三年(1598)のことと申しますから、古い。
その時代には「ジャガタラ」と呼ばれる縞柄の生地もあったらしい。
ジャガタラには芋もあり布もあり、人もあった。
「ジャガタラお春」のことであります。
ジャガタラお春が生まれたのは、寛永二年(1625年)。長崎で。
お父さんは、ニコラス・マリン。イタリア人航海士。また、貿易商。お母さんの洗礼名前
は、「マリア」だったという。そのマリアの父が、小柳理衛門。
お春は一時期、小柳理衛門の養女にもなっています。
お春は今でいうハーフでありますから、目の大きい美しい少女だったそうですね。
寛永十七年(1640年)。国の政策で、ジャガタラに送られることに。日本人ではないという理由で。
お春はジャガタラの生活になじんだものの、日本への望郷の念も少なくはなかったらしい。
お春は、長崎に住む縁者に多くの手紙を書いて。これが世にいう「ジャガタラ文」なんですね。
お春は1640年11月29日。ジャガタラで、シモン・シモンセンと結婚しています。
シモン・シモンセンは以前、長崎に住んでいたこともある貿易商。お金に不自由することのない家。お春はここで裕福な人生を送ったと考えられています。
今、長崎、玉国町にある「聖福寺」に行きますと、お春の記念碑が建っています。その碑文には。
長崎の 鶯は鳴く いまもなお じゃがたら文の お春あはれ
この碑文は、歌人、吉井 勇の作なのですが。
じゃがいもが出てくる短篇に、『じゃがいもエルフ』があります。1926年に、ナボコフが発表した小説。
「じゃがいもエルフはその容貌だけで、イギリス全土に、そして後には大陸の主要都市でも、拍手と笑いの嵐を巻き起こした。」
ここでの「じゃがいもエルフ」は、あるサーカス団の団員。
ナボコフが1924年に書いた短篇に、『ラ・ヴェネツィアーナ』があります。この中に。
「切り込みの深いウエストコートの服のところのボタンをかけ、黒い蝶ネクタイを結び、ジャケットのサテンの折り返しについてもいない糸くずを二本の指で長いこと捕まえようとしていた。」
ここでの「サテンの折り返し」は、「シルク・フェイシング」silk facing のことでしょう。
もともとは裏地だったところを外に折り返したので、シルク・フェイシング。
どなたかシルク・フェイシングの美しいディナー・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。