サーカスもまた、懐かしい響きがありますよね。もっと古くは、「チャリネ」と言ったんだそうですが。
どうしてサーカスを「チャリネ」と呼んだのか。明治十九年に、イタリアのサーカス団「チャリネ一座」が来て、興行。今の秋葉原で。このチャリネ一座のサーカスが拍手喝采となって、以来、サーカスのことを俗に「チャリネ」とも言ったそうです。つまりは、明治語。
サーカスがお好きだったのが、芥川龍之介。そのように決めつけてよいのかどうか。でも、芥川龍之介の小説、『葱』にはサーカスの話が出てきます。
「それから芝浦にかかつてゐる伊太利人のサアカスを見に行かうと云ふのである。」
『葱』は、大正九年の発表。余談ではありますが。『葱』にも、ボヘミアン・タイが出てきます。
「葡萄色のボヘミアン・ネクタイを結んで ー と云へば大抵わかりさうなものだ。」
これは、「田中君」という人物の様子。「田中君」は、藝術家。その時代の藝術家は多くボヘミアン・タイを好んだので。若き日の永井荷風も、ボヘミアン・タイを愛用したものです。
三島由紀夫が、昭和二十三年に発表した短篇に、『サーカス』が。三島由紀夫が、『サーカス』を書いているさなか、友人の、三谷 信に宛てた葉書に。
「 「サーカス」執筆中。エロティックな個所が多いが、さういふ処をなるたけ濃厚に、しかもペダンティックに、荘重に、勿体振つて、お上品に、図々しく書かんとする努力に精神を集中させてゐます」
そのように、書いています。でも、今あらためて『サーカス』を読んでみると、私には淡い恋物語としか思えないのですが。時代のせいでしょうか。
三島由紀夫の小説に、『S・O・S』があります。この中に。
「湘南電車の二等車から、中年の太つた紳士と、サン・グラスをかけた若い女が降り立つた。」
この「中年の太つた紳士は、銀座の老舗洋品店の主という設定になっています。
サングラスをかけて、ひさびさに、銀座の老舗洋品店を訪ねてみたいものですね。