レイディオは、ラジオのことですよね。「ラジオをレイディオとは気障千万なり!」。まあ、そうおっしゃらずに。
ラジオがどうしてラジオかと言いますと。もともとは、「レイディオテレグラフィー」と呼ばれたんだとか。無線電信。このレイディオテレグラフィーの後半分が省略されて、「レイディオ」になった。このレイディオが日本にやってきて、「ラジオ」になったわけですね。
そんなわけで、むかしの人はラジオのことを、「ワイアレス」とも。「無線」。これはレイモンド・チャンドラーのハードボイルドにも出てきます。
すべて生演奏の時代があって、ラジオの時代になって、TVの時代になって、今やデジタルの時代になっています。でも、ラジオもいいものですよね。第一、目も手も、開けておける。耳だけをラジオにあずけておける。しかも、想像力を逞しくさせる。想像力は、創造力のもとで、結局創造力ある人間になるためには、ラジオを聞くに限るという結論が導かれるのでありますが。
ラジオをよく聞いていた人に、芥川龍之介が。このように言い切ってよいのかどうか、芥川龍之介著『河童』にラジオの話が出てくるのは、間違いありません。
「ラデイオのニウスで知つたのです。」
もちろんこれは河童の科白なのですが。河童がラジオを聞いていたということは、芥川龍之介もまた聞いていたのではないでしょうか。余談ですが。『河童』には、こんな名言も。
「阿呆はいつも彼以外のものを阿呆であると信じてゐる。」
なるほど。そうなんでしょう。
芥川龍之介は、よく河童のことを書いています。それで、「河童忌」毎年の、7月24日は、河童忌ですね。
ラジオ・ドラマにしたいような小説に、『グレイのフラノを身につけて』があります。1960年ころに、ロバート・シェフリーが発表した物語。この中に。
「グレイのフラノを数着と、レジメンタルストライプのネクタイを多数愛用し……………………。」
これは物語の主人公、トマス・ハンリーのワードローブ。いいですね。自分の服の傾向をひとつに決めておくのは。
時にはレジメンタルのタイを結んで。高性能のラジオを探しに行くとしましょうか。