シカゴとシルク・ハット

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シカゴは、アメリカ、イリノイ州の町ですよね。アメリカはあまりに広く、あまりに多くの町があります。シカゴはそのあまりにも多く町のひとつにしかすぎません。
でも、ハードボイルド愛好家にとってのシカゴは、聖地なのです。シカゴと聞いては素通りできません。それは、かのレイモンド・チャンドラーが生まれた町なので。
レイモンド・ソーントン・チャンドラーは、1888年7月23日に、シカゴに生まれています。お父さんは、モーリス。お母さんは、フローレンスと記録されています。このフローレンスの旧姓が、ソーントンだったのです。フローレンス・ソーントンは、生粋のアイルランド人でした。モーリスもまた、アイルランド系アメリカ人。ということは、チャンドラーには、かなり色濃くアイルランドの血が流れていたと、考えて良いでしょう。
1886年ころ、チャンドラーは、倫敦へ。チャンドラー、八歳のとき。これは家庭の事情によるものだったとか。
そして、ふたたびアメリカに戻るのが、1912年のこと。つまりチャンドラーは、八歳から二十四歳まで、英國で暮らし、教育を受けているわけですね。これはもうアメリカ人というよりイギリス人と言ったほうが近いのではないでしょうか。
チャンドラーが最初、ハードボイルド小説を書く時、「大いにアメリカ英語を学んで………」といっているのは、ほんとうのことなのでしょう。
ただ、チャンドラーが、「マーロウ物」の背景に選んだのは、ロサンジェルス。チャンドラーは1913年からはずっとロサンジェルスに住んだので、都合がよかったものと思わされます。
1924年、愛妻、シシーと結婚。このあたりから、週末には郊外に小さな旅をするように。旅の徒然に、「パルプ・マガジン」を読むように。ここから、ハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーが誕生するわけですが。
チャンドラーが『ブラック・マスク』などを読んでいる頃、シカゴで生まれたのが、チャールズ・ボーモント。1929年1月2日のことです。チャールズ・ボーモントが1960年ころに発表したものに、『魔術師』があります。この中に。

「黒いシルク・ハットをかぶり、真夜中のように黒いズボンをはいた一人の伊達男。…………………。」

もちろん、魔術師のシルク博士の様子なのです。
余談ですが。もしかすれば、「ミッドナイト・ブルー」だったかも。
まあ、それはともかく、一生に一度は、シルク・ハットをかぶってみたいものですが。
いや、それより前に、ハードボイルドの聖地を旅してみたいものですね。

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