ヴェニスは、憧れの街ですよね。水の都。昔、帽子工場見学の途中、ヴェニスに立ち寄ったことがあります。街を歩いて、一軒の土産物店で、カフ・リンクスを買ったことが。ヴェネチアン・グラスのカフ・リンクス。いかにも涼しげで、夏にはふさわしいものかも知れません。今でも、抽斗の奥を探せば、きっと見つかるでしょうが。
ヴェニスを旅した作家のひとりに、吉行淳之介がいます。同行は写真家の、篠山紀信。その成果は、写真集『ヴェニス 光と影』に収められているのですが。
「私がヴェニスに着いたのは、一九七九年十月八日、それから五泊六日の滞在に過ぎない。」
吉行淳之介は、『ヴェニス 光と影』の中に、そんなふうに書いています。その頃の吉行淳之介は食前に、シェリーを飲むことにしていたらしい。でも、ヴェニスではイタリアに敬意を表して、カンパリ・ソーダを飲んだ、とも。
「そうそう、いまはフンギの季節だ。フンギはどうです」
カメラマンが言った。
この「カメラマン」が篠山紀信であるのは、いうまでもありません。吉行淳之介は、ヴェニスで夕食に、フンギを味わっています。
吉行淳之介はまたヴェニスで、『ヴェニスに死す』を再読。もし、『ヴェニスに死す』を再読するために、ヴェニスを再訪する。これままた、粋なことでありましょう。
ヴェニスが出てくる小説に、『痴人の愛』が。谷崎潤一郎が、大正十四年に発表した問題小説。
「たしかあの中に「ヴエニスは沈みつつ、ヴエニスは沈みつゝ」と云ふところがあつたと思ひますが……………………。」
物語の主人公が、夏目漱石の『草枕』を思い出している部分。また、『痴人の愛』には、こんな描写も。
「次をめくると薄いコットン・ボイルの布を纏つて、彫像の如く彳立してゐる姿がある。」
これは主人公がナオミの日記帳を眺めている場面。
ヴォイル v o i l e は、縦横ともに、強撚糸を使って織った生地のこと。ふつう、夏に向く生地とされます。
ヴォイルのシャツでヴェニスを旅するのは、夢物語ではありますが。