酒は、日本酒のことですよね。
酒は日本酒。こんなふうに決めてしまうと、異論もあるかも知れませんが。
酒は、ウイスキイに決まっているではないか、とか。酒は、ブランデーに優るものはない、とか。
日本酒は日本酒で良いのですが。私は「酒」の言い方が好きなのでしょう。
「酒は百薬の長」とも。ただし、適量飲むかぎり。
1970年代の話ですが。常盤新平さんが、市ヶ谷に仕事部屋を持っていたことがあって。時々、お邪魔したものです。
すると、時間に関係なく、酒が出た。「どうして酒なんですか?」問うと。
「面倒がなくてよろしい」。
一升壜からコップに注ぐだけなので。
「人にもよるだろうが、ぼくにはこの酒なら酔わずに飲める。しかも長時間、美味いと思いつづけながら飲める。別に秘密があるわけではない。ゆっくり飲むのだ。
」
堀口大學は、『酒の飲みよう』と題する随筆の中に、そのように書いてあります。
堀口大學は酒がお好きで。戦前、戦中、戦後、毎日、酒を飲んだ。そうも書いています。ここでの「酒」が日本酒であるのは、言うまでもありません。
酒がお好きだったフランス文学者に、辰野 隆がいます。小林秀雄の先生だったお方ですね。
また、渡辺一夫の先生でもありました。
渡辺一夫は『酒について』と題する随筆の中に、こんなことを書いています。1955年に。
「渡辺君、一ぱい飲みたいね」と言われた。待ってましたとばかりに、用意していた三級酒の小ビンを先生にお渡しすると、先生はビンの口からじかに、がぶがぶ飲まれ、「うまい、さすがに高知の銘酒は」と言われた。
これは1952年頃の話して。
1952年頃。辰野 隆と渡辺一夫は、高知へ旅した時のこと。
高知のことですから、酒蔵を巡って、飲みに飲んで、夜行列車に。
夜行列車に乗ったとたん。「渡辺君」ときたわけですね。
渡辺一夫は、そんなこともあろうかと、駅の売店で、酒を用意しておいた。そんな内容になっています。
渡辺一夫が翻訳したフランスの小説に、『神となったエンペドアレス』があります。
十九世紀の作家、マルセル・ショオッブの短篇。
「彼女は乳房を真赤な胸帯で締め上げ、その板靴の底には薫香が焚きしめてあった。」
これは「パンテア」という美しい女の着こなしとして。
渡辺一夫は、「胸帯」には、「ストロフィヨン」、「板靴」には、「サンダル」のルビを添えてあります。
どなたか底に香水をしのばせておきたくなるようなサンダルを作って頂けませんでしょうか。