ホテル・ヴィクトリアは、世界中にありそうな名前ですよね。第一、「勝利の宿」なんて縁起が良いではありませんか。
むかし、サンフランシスコにも「ホテル・ヴィクトリア」があったらしい。さて、今はどうなのか。1980年代に、田中小実昌はサンフランシスコに行って、「ホテル・ヴィクトリア」に泊まった。その「ホテル・ヴィクトリア」のロビイでぼんやり外を眺めていると。前の通りを、植草甚一が歩いている。ロビイを出て、「植草さん」と呼びとめたという。まあ、それはそうでしょうね。
「ホテル・ヴィクトリア」は、サンフランシスコのどこにあったのか。
「ダシル・ハメットの「マルタの鷹」のさいしょの殺人がおきるストックトン・トンネルのすぐ近くだ。」
田中小実昌著『パーティでも本を読んでいた』には、そんな風に書いています。田中小実昌は、レイモンド・チャンドラーの『湖中の女』などの翻訳もありますから、ハードボイルドにはお詳しいのでしょう。余談ですが、田中小実昌は、『パーティでも本を読んでいた』の中で、「ダシル・ハメット」と書いています。
田中小実昌と植草甚一が偶然、サンフランシスコで会って。「どのくらい本を書いましたか?」。これに対する植草甚一の答え。
「木箱三杯分くらいでしょう………」。
植草甚一の蒐めた本の数、ざっと四万冊だったという。ちょっとした図書館並みかも知れませんが。
植草甚一にたまたま出会った人に、片岡義男がいます。片岡義男著『一九六三年、植草さんは目立っていた』に、そのように出ています。銀座の洋書店「イエナ」の前に、植草甚一が立っていた。
「その日の植草さんは純白のスーツを着ていた。帽子も白だった。」
本は四十冊くらいしか蒐められませんが。ホワイト・スーツは着てみたいものです。ホワイト・スーツを三着持って、「ホテル・ヴィクトリア」に泊まってみたいものです。