ニュートンは、有名な学者ですよね。もちろん、アイザック・ニュートンのことです。
アイザック・ニュートンは1643年1月4日、英国、リンカンシャー、ウールズソープに生まれています。今からざっと四百年ほど前の人物だと言えるでしょう。
イタリアのガリレオ・ガリレイが1642年1月8日に、七十八歳で世を去っています。
このお二人は、ちょうど生まれ変わりのようにあらわれているのですね。
ニュートンは1653年、十歳の時。家庭の事情で、「クラーク」という薬屋の二階に下宿することに。
この下宿で、見よう真似よう、薬草の知識を得たそうですね。
ニュートンの家系はひと口に言って、地方地主。ニュートンが農業に進む可能性は大いにあったでしょう。
ところが親戚の人がニュートンの才能に気づいて、大学に進むことになったんだとか。
1661年、十八歳のニュートンは、ケンブリッジ大学、トリニティ・カレッジに。
ニュートンがケンブリッジに着いたのは、1661年6月5日のことだったそうですね。
この時代の入学試験は、口頭試問。先生が問いを出して、それに生徒が答える方式。
もちろんニュートンはすぐに入学が許されています。ただし、「サブサイダー」として。
サブサイダーは当時のケンブリッジでの言葉。「奉仕学生」とでも言えば良いでしょうか。お金がかからない生徒。
その代り、豊かな生徒の雑用を引き受ける係。
1664年になって、新任の先生が。それは数学の先生で、アイザック・バロー。アイザック・バローはニュートンの優れた頭脳を理解して、ニュートンの待遇を変えてくれたのです。さらには、ケンブリッジでの先生にも推薦してくれたという。
今日、ケンブリッジ大学の校内に、ニュートンの銅像が建っているのは、そんな事情でもあるのでしょうね。
ニュートンが出てくるミステリに、『箱の中の書類』があります。1930年に、英国の作家、ドロシー・L・セイヤーが発表した物語。
「それからぼくはウィンザー&ニュートンの店に行き、つけを払った。小切手でね。」
ここでの「ウィンザー&ニュートン」は、ロンドンの画材店と設定されているのですが。
また『箱の中の書類』には、こんな描写も出てきます。
「あなたがモーニングを着てこちこちに正装しているのを見たとき ー 」
これはマーガレット・ハリソンの、ハーウッド・レイサム宛の手紙の一節として。
ここでの「モーニング」は、おそらく「ニュウマーケット・コート」newmarket coat のことかと思われます。
Newmarketは、英国、サフォーク州の地名。競馬場があることでもよく知られている所。
ニュウマーケット・コートは、競馬見物に最適の服装という想いがあったのでしょう。
英語としては、1843年頃からすでに用いられています。
どなたか現代版のニュウマーケット・コートを仕立てて頂けませんでしょうか。