スティール・ギターは、楽器のひとつですよね。
竪形のギター。鉄線を張ったギターなので、「スティール・ギター」なのでしょう。そういえば弦を押さえるバアもまた鉄製ですよね。
スティール・ギターはハワイアン音楽には欠かせないものでしょう。ウクレレがあって、スティール・ギターがあれば、波の音が聴こえてきます。
スティール・ギターの名手といえば、和田 弘。「和田 弘とマヒナスターズ」はご存じのことでしょう。
和田
弘は少年の頃からオルガンが得意だったらしい。あるとき、「灰田春彦とモアナ・グリー・クラブ」の演奏を聴いて、感激。これで、スティール・ギターに魅せられたんだそうですね。
「灰田春彦とモアナ・グリー・クラブ」は、昭和三年の結成というから、古い。日本でのハワイアン・バンドの草分でしょう。
灰田春彦の弟が、灰田勝彦。二歳の年下。灰田勝彦が歌手であるのは、言うまでもありません。
灰田勝彦の歌がお好きだったのが、作家の諸井 薫。
「灰田がハワイの出身で、ハワイアンを歌っていたことは男もおぼろげながら知っていたが、そのハワイアン風の唱法の、ちょっと鼻にかかるというか、抜けるというか、とにかくその灰田の特徴を実によく掴んでおり、灰田の声の特徴である、ちょっと金属的な響きがよく似ているのだ。」
諸井 薫は1998年に発表した随筆『灰田勝彦の歌』の中に、そのように書いてあります。
これは戦争中の話。二歳上の友人に誘われて、下宿にレコードを聴きに行く場面。先輩は灰田勝彦のレコードを聴かせてくれ、あまつさえ歌ってもくれて。それが灰田勝彦によく似ていた、と。
この随筆の最後の一行は。
「男はいま、莫迦の一つ覚えのようにマイクを握れば灰田勝彦一辺倒なのである。」
諸井 薫は筆名。本名は、本田光夫。1931年3月26日のお生まれ。
和田 弘もまた、昭和六年(1931年)二月十五日に誕生。
諸井 薫と和田 弘は同い年だったのですね。
和田 弘よりももう少し先輩になるのが、大橋節夫。やはりハワイアンの歌手。通称、「オッパチ」。大橋節夫を短くいたしまして、「オッパチ」。
『小さな橋の下で』はお聴きになっているはずです。
あるいはまた、『倖せはここに』なども。『倖せはここに』は、大橋節夫の作詞作曲。
大橋節夫はハワイアンを歌謡曲にした第一人者と言えるでしょう。
同じく大橋節夫の作詞作曲に、『ズボンの折目』があります。
🎶 ズボンの折目は いつもきちんとしてね……
そんな歌詞が出てくるので、『ズボンの折目』の題なのですね。
ズボンの折目は、筋目とも。英語なら、「クリース」
crease でしょうか。
ズボンにクリースが付くようになったのは、十九世紀末のこと。
英国のエドワード七世がまだ皇太子であった時に。ある旅先で、お付きの者がズボンの畳み方を間違えて。ズボンの前後に畳み皺が。
皇太子はそれを平気で穿いて人前に。それを見たまわりの男たちが、「最新流行」と勘違いした結果なんだそうですね。
どなたかクリースの美しく映えるトラウザーズを仕立てて頂けませんでしょうか。