バジルとパキャン

バジルは、人の名前にもありますよね。
ふつうBasil と書いて「バジル」と訓むことが多いようですが。
日本と関係深いバジルに、チェンバレンがいます。
バジル・チェンバレン。
バジル・チェンバレンは明治六年に、日本に。それ以来、ざっと三十年を日本で暮したお方。
バジル・チェンバレンは1850年10月18日に、英国のポーツマスに生まれています。ポーツマスのサウスシーに。
お父さんは、ウイリアム。お母さんは、イライザだったそうですね。
お母さんのイライザはもともとスコットランド人だったという。
イライザはバジルを身ごもった時から、ギリシア語とラテン語の勉強をはじめています。
そのためなのかどうなのか、バジルは子供の頃から異国語に興味を持っていたという。
バジル・チェンバレンを語る上で忘れてならないのは、
『日本事物史』。
明治二十三年(1890年)に初版が出て、1936年までに六版を重ねています。
当時としては日本を識るための最良の副読本だったのでしょう。
『日本事物史』は、その題名の通り、ありとあらゆることについて詳しく語られています。
たとえば、日本の衣裳についても。

「全体的に見て、日本の紳士の服装は ー 婦人の服装もそうだが ー 非常に優雅であり、しかも衛生的である。」

チェンバレンはそのように書きはじめています。
余談ではありますが。チェンバレンは日本の古代の歌
『君が代』の訳者でもあるのですね。
チェンバレンは『君が代』を訳しただけでなく、ぜひ国歌にするようにとも薦めています。

バジルが出てくる小説に、『回転木馬』があります。英国の作家、サマセット・モオムが、1905年に発表した物語。

「バジルほど美しいものそれ自体に感動を覚える人間はいない。」

ここでの「バジル・ケント」は、作家志望の青年だと設定されているのですが。
また『回転木馬』には、こんな描写も出てきます。

「しかし、見よ!
母はパキンのデザインになるドレスを身に纏い、けばけばしくも決して下品にはならないという彼女にしかできない大胆不敵な姿でそこに立っているのだ。」

これは「マルがリート・ヴィザード」の着こなしとして。
ここでの「パキン」はおそらく「パキャン」Paquin のことかと思われます。
ジャンヌ・パキャン。
パキャンは1869年にフランスのサン=ドニに生まれています。
パキャンはその後、巴里に出て、オオトクチュールの店を開いて。1890年代末のこと。
巴里のリュウ・ド・ラ・ペ三番地に。ここでのパキャンのドレスが注目されて、王侯貴族のご婦人に愛用されることに。
一時は世界中の富豪の間で人気のあったデザイナーだったのですね。
どなたかパキャンが仕立てたようなスーツを作って頂けませんでしょうか。