クリスマスとクラブ・タイ

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クリスマスは、愉しいものですよね。クリスマスはごく簡単に言って、イエス・キリスト様がお生まれになった日。キリスト誕生を祝う一日のことであります。
『クリスマス百科』という本があります。1954年に、メイミイ・R・クライスが発表した事典。また、読物にもなっています。とにかく『クリスマス百科』というくらいですから、クリスマスについてのたくさんのことが出ています。
たとえば、「クリスマス・カード」のことなんかも。メイミイ・クライスが調べたところでは、いつ、誰がクリスマス・カードを発明したのかは、よく分ってはいないんだそうです。
ただ、1850年代末の、英國でクリスマス・カードが売り出されたらしい。たぶん、それ以前には個人個人の手描きだったものと思われます。
たとえば英國王室などでは、一流画家に、クリスマス・カードの絵を描いてもらうことがあって。立派な藝術作品でもあったのです。
1860年代に入ると、やはり英國の「グーダル商会」が、印刷式のクリスマス・カードを販売するように。「グーダル商会」が、1868年に出した、赤い乗馬ズキンの絵柄は、とてもよく売れたという。
そんなわけで、1860年代のイギリスには、いくつかのクリスマス・カード会社があったそうです。
そのなかのひとつ、「マーカス・カード会社」が、アメリカに輸出することを思いついた。1870年頃のこと。つまりクリスマス・カードはイギリスからアメリカへ伝えられた習慣だったわけですね。
アメリカでは、マサチューセッツ州の、「ルイス・ブラング」という人物が、アメリカ製のクリスマス・カードを。1874年のことです。ルイス・ブラングのクリスマス・カードは、美しい花が描かれ、「メリイ・クリスマス」の文字が配されていたという。
クリスマスが出てくる小説に、『旅の繪』があります。堀 辰雄が昭和八年に発表した物語。

「主人は急にそわそわし出したように見えるくらい愛想よくなって、私の方を向きながら、それではお前もクリスマスを送りに来たのかとなどと問い出した。」

『旅の繪』よりも前の、昭和五年に、堀 辰雄が書いた短篇に、『聖家族』があります。この中に。

さつきあんまり扁理の赤い縞のあるネクタイを見つめ過ぎたので…………………。」

ここでの、「扁理」は、河野扁理という人物のことです。
「赤い縞」。おそらく、クラブ・タイのことでしょう。イギリスでは、「クラブ・タイ」と呼ぶ多いようですね。
さて、今年のクリスマスは、堀 辰雄に倣って、クラブ・タイを結んで、クリスマス旅に出るとしましょうか。

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