エスプリとエスカルパン

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エスプリは、機知のことですよね。esprit と書いて「エスプリ」と訓むんだそうです。
フランス語の大きな辞書を開いてみますと、ざっと二十九もの意味が並んでいるらしい。私ごときがひとくちに説明できるはずがありません。
エスプリをもし「心の潤滑油」だと理解するなら、人生の必需品でありましょう。エスプリのある人生の方がたぶん幸福に近いはずです。

「風呂修理屋の話」というのがあります。
ある家で風呂の具合が悪いので、修理を依頼。さっそく、修理屋がやって来ると、たまたま夫人が風呂に入っていて。ドアを開けてしまった。でも、修理屋はドアを閉める時に言った。
「これは失礼しました、旦那様。」
これもまたエスプリだというのですが。
エスプリに一歩近づくための一冊に、『エスプリとユーモア』があります。1969年に、フランス文学者の、河盛好蔵が発表した新書です。
この『エスプリとユーモア』のなかに、フォントネルの話が出てきます。フォントネルは、フランスの思想家。ベルナール・フォントネル。十八世紀はじめの人物。
ある時の会合で、37名が集まった。フォントネルもそのひとり。その会合で、慈善事業の提案があって、一人20フラン金貨一枚を出すことに。
さて、金貨を数えて見ると、36枚。この会員のなかに日頃から締まり屋で有名なAさんがいた。皆は、「Aさんが入れていないのだろう」と侃々諤々。その時、最後にフォントネルの言葉。

「私はたしかにAが金貨を入れるのを見た。但し、信じられないのだがね。」

これもまた、エスプリの効用というものでしょう。
『エスプリとユーモア』には、アレの話も出てきます。
アルフォンス・アレは、フランスの作家。今ではその作品よりも、エスプリを好んだ人物として記憶されています。
アルフォンス・アレは、1854年10月20日に、オンフルールに生まれています。オンフルールは奇人変人の生まれるところなんでしょうか。
詩人のランボオも、作曲家のサティも同じく、オンフルールに於いて誕生していますから。
アレはある時、ロンドンに旅してパリに帰って来て、言った。

「ロンドンに、トラファルガー広場があるんだよ。どうして戦に負けた地名を付けるかね。パリには、オーステリッツがある。皆、戦に勝った所ばかりだよ。」

アレはある風の強い日に、カフェに。

「ビールを一杯。あ、それから風を少し弱くしてくれたまえ。」

エスプリが出てくる小説に、『続女性研究』があります。1842年に、フランスの作家、バルザックが発表した物語。

「………だれもが会話に加わり、きそってエスプリを見せてみんなを楽しますことに寄与せざるを得ない。」

うーん、フランス人はそんなふうに考えるんですね。
また、『続女性研究』には、こんな描写も出てきます。

「………六フランの絹のソックスを履き、エナメルの軽い靴を片方ずつ進めながら………」

これはある伯爵の姿として。
「軽い靴」。たぶん「エスカルパン」essarpin のことかと思われます。英語でいうところの、「パンプス」。
どなたかエスプリが出てくそうなエスカルパンを作って頂けませんでしょうか。

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