ウーステッド(worsted)

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紳士の基布

ウーステッドは梳毛糸のことであり、梳毛地のことでもある。ウーステッド・ヤーンは、梳毛糸。梳毛糸を縦経に配して織り上げたものが、梳毛地。
ウールのなかでウーステッドと対極にあるのが、「ウーレン」 woolen。紡毛糸であり、紡毛地である。
ウーステッドの特徴はより長い、より細く、より滑らかな糸に仕上げられるところにある。今日、ビジネス・ウエアやフォーマル・ウエアに使われるウール地は、まず例外なくウーステッドなのだ。
もっともウーステッドも様ざまで、「ミルド・ウーステッド」 milled worsted がないわけではない。これは意図的に生地の表面に毳を残した生地。もしくは織り上げた後、毳を添えた布地のことである。つまり通常のウーステッドの表面はクリア・カットされるのだ。

「メリノ種の羊毛またはクロスブレッド種の羊毛を原料として製した梳毛糸を経糸と緯糸に用いて製織した無地梳毛織物の総称である。」 ( 原文は正字旧仮名遣いだが、引用に際して新字新仮名遣いにさせて頂いた)

三省堂編『婦人家庭百科辞典』には、「ウーステッドコーチング」を、そのように説明している。『婦人家庭百科辞典』は、昭和十二年の刊行であるから、少なくとも戦前の日本でも『ウーステッド」が知られていたものと思われる。

「我業界に於いてはウーステッドという言語にて通用し、余り梳毛絨なる語は用ひられず……」

木村慶市著『洋装読本』 には、このようにはじまって、詳しく説明されている。『洋装読本』は、昭和七年の出版。おそらく昭和七頃には、「ウーステッド」の言葉が使われていたのであろう。
ウーステッドは英国に生まれ、英国に発展した糸であり、生地である。一説に英国では八世紀の昔からウール地が輸出されていたという。その輸出商品の価値を高める必要もあったに違いない。
生地としての「ウーステッド」は、1293年に使われた記録がある。それは、『カムデン文芸雑録』の中でのこと。ということは、ウーステッド自体は遅くとも十三世紀の英国に登場していたわけである。また、チョーサーの『カンタベリー物語』の「プロローグ」にも、「ウーステッド」が出てくる。
ウーステッドの名前は、ウイリアム一世と関係している。「ウイリアム・コンケラー」と称されたあのウイリアム一世と。
英国史によれば、英国を最初に統一したのは、ウイリアム征服王であるとされる。ウイリアム一世は1066年に挙兵し、その年の9月28日にイングランド南部、ペヴンジーに上陸。そして、ヘイスティングズを決戦場と定めて、ハロルド二世軍を破る。1066年10月14日のことである。同じ年の12月25日、ウエストミンスター・アベイで、英国王としての戴冠式を行っている。以後、英国がウエストミンスター・アベイで戴冠式を行うのはそのためである。
この1066年の戦いのさなか、ノーフォークで勝利したウイリアム一世は高らかに宣言する。「ウーステッド!」と。「我、征服せり!」の意味であったのだろう。こうして「ウーステッド」の地名が生まれたのである
その後、このウーステッドでより繊細な糸、より滑らかな生地が織られることになったものと思われる。

「若い青年会社員だったら丈夫なウールツイードの荒い縞物をすゝめ、ブルジョワの紳士だったら、ウーステッド、サキソニイ、チェビオットなど舶来のいきな柄物……」

菊池寛著『親心』 ( 昭和九年発表 ) の一文。これは高津栄吉のひとり言。高津栄吉は永年、百貨店に勤め、その後銀座の「ワシントン洋服店」の支配人になる。そこで生地の俄か勉強をしたというのが、ひとつの背景になっている。昭和九年の「紳士」には、ウーステッドがお似合いであったのだろう。

「これから六十九日間の夕暮には、またチェヴィオット織りとウーステッドの服を着て……」

O・ヘンリー著『美服のあだ』 (1906年発表 ) の一節。これはNYの、タウァーズ・チャンドラーのひとり言。彼は美服のために夕食代を倹約する男として描かれているのだ。
それはともかく、1906年頃のNYでは、ウーステッドが粋な生地であったことが窺えるに違いない。

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