カシミア(cashmere)

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繊細貴公糸

カシミアはカシミア山羊の毛から得られる糸のこと。また、その糸から織られた布、編まれた編地のことでもある。
カシミアは英語で、その綴りにも何種類かがある。フランスでは、「カジミール」 casimir という。イタリアでは、「カチェミーレ・ cachemire となる。これらはいずれも地名の「カシミール」Kashmir から来ている。カシミールはインド北部の山岳地帯である。
現在のカシミアは多く内モンゴル産である。ここは良質カシミアの原産地なのだ。今も昔もカシミアのスェーターは憧れの的である。軽くて温かく、肌触りも素晴らしい。
カシミアの素晴らしさは高地と関係している。カシミア山羊はたいてい高地に棲む。高地であればあるほど、その毛は繊細となる。
モンゴルの高地の冬は寒い。冬が来るとカシミア山羊に産毛が生える。それはいってみれば天然の毛皮のコートでもある。神が山羊に与えた毛皮のコート。
そして春になる山羊は毛皮のコートを脱ぐ。樹の根や岩肌に身体を擦りつけて、産毛を落とす。落とした産毛を地元民が拾い集めて糸にし、生地にした。おそらくそれは太古の昔から行われていたのではないだろうか。
カシミア山羊の毛は山が高いほど細くなる。そしてまた、仔山羊であればあるほど、細い。さらに野生であればあるほど、細い。これは自然の原理に従ったものであろう。そして仔山羊の毛を、「ベビー・カシミア」と呼んで珍重するのである。何事も上には上があるものだ。
カシミア山羊の身体をブラシで梳くと、産毛が採れる。これも量は少ないが、貴重品でもある。もちろん羊と同じく、刈る。これは刈るだけで、身体を傷つけるわけではない。毛はまた生えてくるのだから。
カシミアが貴重とされるのは、その糸の細さにある。およそ14ミクロンであるという。これはヴィキューナやグアナコを別とするなら、天然動物の中でもトップクラスに位置するものだ。
十七世紀末に描かれてとされる『サイイド・ラジュ・カッタの肖像』がある。これはインドの王子の姿を描いたもの。王子はカシミアの服を着、カシミアのショールを肩に掛けた姿になっている。この肖像画は現在パリの「ギメ美術館」所蔵となっている。カシミアの歴史というよりも、十七世紀でさえ、カシミアが王侯貴族にふさわしい布であったことが窺えるに違いない。
フランスにカシミアを伝えたのは、フランソワ・ベルニエだったと、考えられている。フランス・ベルニエはフランス人の旅行家。1664年にカシミール高地を旅して、その地に美事な布地を発見したのである。この時、フランソワ・ベルニエがカシミアの現物を持ち帰ったか否かは定かではない。
フランスで実際にカシミアが着用されるのは、十八世紀末のことであろう。1790年頃、ジャック=ルイ・ダヴィッドが描いた『ソルシィ・ド・テリュソン侯爵夫人』という絵がある。侯爵夫人は白いドレスを着て椅子に座っている、白いドレスの上には淡いベージュのカシミア・ショールが見られる。これはフランスでは比較的はやいカシミア・ショールの例であろうと思われる。
十九世紀に入るとカシミア・ショールは熱病であるかのように流行る。その時代にあってはカシミアといえばショール、ショールといえばカシミアだったのだ。

「19世紀の女性たちの垂涎の的、カシミア・ショールにまつわる常軌を逸した情熱や、それを淑女に贈らねばならなかった殿方の経済事情に重大な影響を及ぼしていたその値段 ー 当時1枚のカシミア・ショールの値段は今日の上等なミンクのコートとほとんど同じであった……」

モニク・レヴィーストロース著深井晃子監修『カシミア・ショール』 (1988年刊 ) には、そのように出ている。
時にあたかも薄いモスリンのドレスの流行期。その上に羽織るカシミア・ショールは豪奢そのものであったのだ。このフランスでの流行がイギリスに伝えられないはずがなかった。

「レディ・エリザベスはガウンの代わりとして、裕かで高貴なカシミア・ショールを身に纏っていた。」

ジョン・W・クロッカー著『日記』の、1822年1月12日のところにはそのように記されている。カシミア・ショールはまた、その保温に優れていることを、言葉なしに語るものでもあろう。

「もし貴方が私にカシミア・ショールを持ってきて下さるなら、私は私の古い友人であるマダム某を紹介してあげられるでしょう。」

ブルーワーリットン著『ペラム』 (1827年刊 ) の一節に、そのように書かれている。いずれにしても当時のカシミア・ショールが貴重品であったことが窺えるに違いない。

「オール・ウールの、フランス製カシミアレット……」

1886年『ヨーク・ヘラルド』8月11日付の記事の一文。「カシミアレット」cashmerette と綴られている。これは「模倣カシミア」のこと。その時代のカシミアにはそれほど人気があり、それほどに高価であったのだ。「カシミアレット」は何もフランス製とは限らず、イギリスでも大いに織られたのである。

「其形ち色々あれども一々ここに記し難し。 都て羽織の地合は羅紗多し。夏分は「カシミヤ」などといへる、絹と毛を半分雜にて……」

片山淳之助著『西洋衣食住』 ( 慶應三年刊 ) の一文。分中の「羽織」は、ジャケットのことである。上着に使われる生地についての説明部分。「カシミヤ」と出ている。今、調べた限りでは『西洋衣食住』以前の、「カシミヤ」の使用例を探すことができなかった。
「片山淳之助」は世を忍ぶ仮の名で、実は福澤諭吉の筆名。ごく簡単にいえば日本にカシミアのあることを紹介したのは、福澤諭吉であったのかも知れない。
慶應三年は、1867年のことであって、かの夏目漱石の生まれた年でもある。

彼の襟の白かった如く、彼の洋袴 ( づぼん ) の裾が綺麗に折返されていた如く、其下から見える彼の靴足袋の模様入りのカシミヤであった如く……」

夏目漱石著『門』に出てくる文章である。主人公、宗助がいかにインテリであるかを述べている部分なのだ。
少なくとも明治四十年頃、カシミアの靴下があったものと思われる。夏目漱石が実際にカシミアの靴下を愛用したかどうかは、決定し難いのだが。

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