白秋はもちろん、北原白秋ですよね。
北原白秋の歌では、どんなのがお好きですか。たとえば、『城ヶ島の雨』とか。
雨はふるふる 城ヶ島の磯に……
たしかこんなふうにはじまるんですよね。
これは大正九年、「芸術座」の依頼があって、創られたんだとか。
雨はふるふる
白秋はこの城ヶ島の雨を、ほんとうに見ている。ちょうどその頃、白秋は三浦三崎に住んでいたから。三崎と城ヶ島は、ほんの目と鼻の先。
白秋はどうして三崎に住むことになったのか。
この時代、白秋にもなにかと思い悩むことがあったらしい。で、広田連太郎を訪ねる。広田連太郎は禅の大家。その広田連太郎が、三浦三崎に住んでいた。大正二年一月二日のこと。
日だまりや 光ゆらめく黄バラ うごかして 友呼びけり
その時に白秋の詠んだ一首が、これなんだそうですね。白秋は広田連太郎を訪ねた時、三崎の良さを知ったんでしょう。同じ年の十月には三崎に越していますから。
「一旦東京を遠離してから、私の生活は一変した。地上に湧き上がる新鮮な野菜や潑ラツとした鱗を翻す海の魚族は私の真実の伴侶であった。」
白秋はそんなふうに書いています。舟を漕ぎ、魚を採り、野山を駆け巡り、筆を執る間もなかった、とも。
大正二年十一月。三崎の「見桃寺」に移る。この寺で書いたのが、『城ヶ島の雨』なんだそうです。
桃を見る寺と書いて、「見桃寺」。鎌倉時代、ここは桃の名所。武士たちがやってきて、桃の花を眺めた場所なんだそうですね。
北原白秋は実にいろんな服を自由に着たお方で。たとえば、ルパシカ姿は有名でしょう。
でも、ちゃんとスーツを着ることもあって。そんな時には懐中時計を愛用した。金鎖を使って、胸ポケットに入れておいた。襟穴にチェーンを通すのも粋ですよね。
たまには懐中時計を携えて。白秋の本を探しに行くとしましょうか。