幇間とヴェルヴェット

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone

幇間は今でも使われる言葉なんでしょうかねえ。時に、「たいこ持ち」とも。また「男芸者」とも。
呼び名はさておき、明治までの宴席では必要、欠くべからざる職業だったようですね。明治の文豪、尾崎紅葉のお父さんは、尾崎惣蔵。惣蔵の息子が、徳太郎。つまりは紅葉であります。
お父さんの惣蔵はまたの名を、谷斎。この谷斎はれっきとした幇間だったという。谷斎がお好きだったのが、緋縮緬。緋色の縮緬。この羽織を好んだ。相撲見物にも、緋縮緬の羽織。番狂わせの取組があると、赤羽織で土俵に。明治十年頃、「赤羽織の谷斎」といって知らぬ者がいなかったそうです。
尾崎紅葉といえば、『金色夜叉』でしょう。『金色夜叉』は最初、「読売新聞」に連載された小説。それというのも、明治二十年代には、尾崎紅葉、読売新聞の社員だったことがあります。
月に一度だけ給料をもらいに行く社員。それではあんまりというので、ひと頃はせっせと三面記事も書いたそうですね。読売新聞のもとは江戸期の瓦版で、道に立って、中身を読んで聞かせた。で、「読売新聞」なんですね。
尾崎紅葉の小説に、『おぼろ舟』があります。これは明治のファッション小説そのもの。

「一人は濃鼠の中山高を冠り、黄糸勝なるすこツちの、頭巾つきの二重外套を………」。

と、はじまるのですから。この中に。

「鉄納戸のおぶあこおとに同じ色の天鵞絨の襟をつけ…………」。

「おぶあこおと」は、オーヴァーコートでしょう。「鉄納戸」は、グレイッシュ・ブルーのこと。いわゆる、ヴェルヴェット・カラーになっているわけですね。
ヴェルヴェット・カラーは、フランス革命期の英国ではじまってそうですね。ギロチン台の貴族に哀悼の意をあらわすために。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on Google+Email this to someone