ウジェニーとウォルト

ウジェニーは、フランスの女の人の名前にもありますよね。
Eugeni と書いて「ウジェニー」と訓みます。フランス語源ですから最初の「E」の上にアクサンティギュウが添えられるのですが。
また、時に「ウージェニー」とする場合もあるようですが。これはまあ、好みの問題でもあるのでしょう。
もし、フランスの小説がお好きなら、『ウジェニーとグランデ』を想い浮かべるかも知れませんね。
オノレ・ド・バルザックが、1883年に書いた長篇。

「ナポレオンは赤帽をかぶつてゐたといふ噂の高いグランデ氏をやめさせ、名前の前にdeがつく男で、のちにフランス帝國の男爵になつた大地主を町長に任じた。」(水野
亮訳)

バルザックの『ウジェニーとグランデ』には、そんな一節が出てきます。
フランスの片田舎、ソーミュールを舞台にしたあるけち男の物語なのですが。
これは架空のウジェニーなのですが、実在のウジェニーもいます。
ウジェニー后妃です。ナポレオン三世のお妃。
ウジェニー・モンティジョは1826年5月5日、スペインのグラナダにお生まれになっています。スペイン貴族のお家柄に。しかも美貌の持ち主でもありました。
ウジェニーは子供の頃からフランスで過ごしていて。屋敷の中での会話もすべてフランス語であったという。
ウジェニーは若い頃に、メリメの邸宅で、スタンダールにあったことがあったそうですね。
1853年1月30日。ウジェニーはナポレオン三世と結婚。以来、フランス后妃となるわけです。
ウジェニーで特筆すべきは、長命であったことでしょう。
1920年7月11日に、九十四歳でお亡りになっています。
1860年代のフランス・モオドは、「ウジェニー風」一辺傾だったと言えるでしょう。
ウジェニーの美貌とお姿の美しさから。皇后のお召しになるものすべてが流行になったのですから。
ウジェニーに会ったことのある作家に、コクトオがいます。ジャン・コクトオには『美の王妃たち』の著書がありまして、ここにウジェニーも出てくるのですね。

「私は、マルタン岬にある彼女の別荘、ラ・ヴィラ・シルノで皇妃と知り合った。彼女は雌山羊のように真っ直ぐ大股で歩いていた。彼女は僧職者のような着こなしをして、くすんだ色の麦わら帽子を被り、松葉杖をついていた。彼女は疲れを知らなかった。」

ここでの「彼女」が、ウジェニーであるのは、言うまでもないでしょうか。おそらく最晩年の様子かと思われるのですが。
全盛期のウジェニー皇后は誰に服を仕立てさせたのか。
ウォルトであります。シャルル・フレデリック・ウォルト。
ウォルトの本名は、チャールズ・フレデリック・ワース。チャールズ・フレデリック・ワースは、1825年にイギリスで生まれています。
1846年、二十一歳で巴里に出たので、シャルル・フレデリック・ウォルトと呼ばれるようになったものです。
最初、「メゾン・ガジュラン」に入り、生地を売るためにドレスに仕立てて客に見せた。つまり今のオートクチュールの開祖とも言いべき人物なのですね。
どなたか当時のウォルトの服を仕立てて頂けませんでしょうか。