箸と羽裏

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箸は、ギャップスティックのことですよね。箸は英語では「チャップスティック」になるんだそうですが。
でも、箸はなぜ箸なのか。これは食べ物と口との「橋渡し」するものだから。そんな説があります。

🎶 お椀の舟に 箸の櫂………

『一寸法師』に、そんな歌詞が出てきます。時と場合によっては箸は、櫂の代わりにもなるんですね。

「彼は是より以上箸を着ける事を許されなかつたのである。」

夏目漱石が大正二年に発表した小説『行人」に、そんな一節が出てきます。これは「三沢」の病院食として。
「生豆腐と海苔と鰹節の肉汁」
漱石は、そんなふうに書いています。
「箸より重いものは持ったことがない」。そんな言い方もあるようです。これはとくに贅沢に生まれ育った人のこと。
贅沢な箸のひとつに、象牙があります。象牙の箸。重からず軽からず。滑るようで、滑らない。また、決して折れることがありません。長く使っているうちに飴色に変わってきて、なかなか佳き味わいのものです。
象牙の箸がお好みだった文豪に、幸田露伴がいます。どうして、そんなことが分かっているのか。青木 玉の随筆『小石川の家』に出ているからです。
青木 玉は、幸田 文の長女。幸田 文は、幸田露伴の長女。つまり、青木 玉は、幸田露伴の孫ということになります。

「盃はボカラのワイングラス、箸は象牙、箸置きは宮永東山さんの青磁のしめじ、小さくて可愛らしい形である。」

青木 玉の『小石川の家』には、そのように出ています。青木 玉は、「ボカラ」と書いているのですが、もしかすれば「バカラ」のことなのかも知れません。
また、『小石川の家』にはこんな話も出てきます。

「何かの折に祖父はわざわざ羽織の裏に真白な絹を付けて仕立てさせ、そこへ久保田米僊氏に凄い目玉剥いた獅子に乗った文殊菩薩を描いてもらって着たという。」

幸田露伴は卯年の生まれで、文殊菩薩は守り神だったらしい。
羽織裏に、絵を描いてもらう。羽裏に凝る。明治の洒落者には、珍しいことではなかったようですね。
どなたかスーツの裏に絵を描いて頂けませんでしょうか。

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