金とキャラコ

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金は、黄金のことですよね。ゴールド。純金であります。
自分の手で触るものすべてが金に変る話が、ギリシア神話にあります。「ゴールデン・タッチ」。もちろん、マイダス王の物語。
マイダス王はある時、ディオニソス神にご馳走をした。で、ディオニソス神はマイダス王に、「何か欲しいものはないか」と、問う。マイダス王は答えて、言う。
「私の手で触れるものが、すべて金に変りますように。」
この願いは聞きとどけられて。マイダス王の触るものすべてが、金に。ゴールド、ゴールド、ゴールド。でも、マイダス王は食事さえできないことに。肉を食べようと手で触れると、金に。
それでマイダス王ふたたび神に、お願いして元どおりに。ディオニソス神は、「パクトルス川」で、身体を洗いなさいと。マイダス王はパクトルス川で身体を清めて、もともとの姿に帰る。その時から、パクトルス川には砂金が流れるようになったとか。
金と題につく小説に、『金色夜叉』があります。明治三十年に、尾崎紅葉が発表して、たちまち拍手喝采となった物語。
尾崎紅葉に会った話を、正宗白鳥が書いています。『尾崎紅葉』の中に。

「脊のスラリとした痩男が筒袖のやうな身装で、梯子段を上つて來た。」

これは当時あった牛込の「明進軒」での様子。「筒袖」はどう理解すればよいのか。私は勝手に西洋服だったと想像しているのですが。
尾崎紅葉が『金色夜叉』よりも前の明治二十一年に書いた短篇に、『風流 京人形』があります。この中に。

「ヅボンは薄羅紗の千筋、小紋置たるキヤリコの鉢巻せる麦殻帽子を弓手に持ち……………」。

これは「若旦那」の着こなし。ここでの「鉢巻」は、今のハット・バンドのことでしょう。それがプリント柄のキャラコだと説明しているわけですね。
キャラコは、綿の平織地。用途の広い生地です。その昔、インドの港町、カリカットから伝えられたので、「キャリカット」。キャリカットの英語が訛って、「キャリコ」。キャリコがさらに変化して、「キャラコ」となったものです。尾崎紅葉の時代にはまだ「キャリコ」だったことが分かるでしょう。
キャラコ・タッチ。手で触れるものすべてがキャラコに。それもまた、いいかも知れませんが。

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