お茶漬けはなぜか、突然、食べたくなるものですよね。昔から、「チンチロりんの、サーラサラ」といえば、お茶漬けにきまっています。
お茶漬けにも、いろんな種類があるようで。梅茶漬け、昆布茶漬け、鰻茶漬け……。
「たいのおさしみでごはんをたべていた時のこと、姉がだれかから聞いてきて、ごはんの上にさしみを並べ、しょうゆをかけ、お茶をかけてふたをした。つまりたい茶にしたわけだ。」
池田弥三郎著『私の食物誌』には、そのように出ています。昭和五十年ころには、すでに「鯛茶漬け」があったんでしょうね。「天茶」もありますが。まあ、このあたりがお茶漬けの王様なんでしょう。
ところでお茶漬けは、いつの頃からあったのか。
1657年といえば、明暦三年のこと。明暦三年一月十八日は、明暦の大火。人呼んで、「振袖大火」とも。
この明暦の大火のあと。浅草、金龍山の門前の茶店で、「茶飯」を売り出した。この茶飯こそ今のお茶漬けの元祖ではないか、とも。
この茶飯は、金龍山の「奈良茶」と呼ばれて、江戸の名物になったという。「おう、金龍山の奈良茶を食いに行こう」とは、鯔背な科白にもなったらしい。
お茶漬けで、映画で、ということになると。『お茶漬けの味』が。昭和二十七年の、小津映画。佐分利 信と、木暮実千代の共演。出の違うふたりが結婚して。結局はお茶漬けを食べて仲良くなる話。
この映画に、「大川社長」の役があって。凝り性の小津は、本物の社長を。それが、石川欣一。石川欣一は毎日新聞の記者。博学の、随筆家でもありました。でも、その頃は、「サン写真新聞社」の社長だったんですね。
小津安二郎は、いつもグレイのスーツ姿で。シャツは、白。でも、どこかにさりげなく赤を使うのが好きだった。
白いシャツには、「a」のイニシャルが。小津安二郎は自分の名前を、Audzu と書いた。で、その頭文字を小文字で、「a」と入れたんだそうですね。いかにも小津安二郎らしい話ですが。
なにかイニシャルのあるシャツを着て。お茶漬けを食べに行くとしましょうか。