パリとバア

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パリは、花の都ですよね。いつの時代にも、多くの人びとに愛されてきた街でもあります。
パリに生まれ、パリに死んだ詩人に、ボオドレエルがいます。シャルル・ピエエル・ボオドレエル。
ボオドレエルは、1821年4月9日にパリに生まれ、1867年8月31日に、パリで人生を終えています。四十六年の生涯でした。

これぞ未聞の石隄、
はた、妖の波にして、
影を宿せる万象ゆゑに
光耀ふ、大鏡。

ボオドレエルの、『巴里の夢』と題する詩の一節です。
この『巴里の夢』は、絵師の、コンスタンス・ギイスに捧げられています。ギイスのことを、「近代生活の画家」形容したのが、ボオドレエルだったのですが。
コンスタンス・ギイスが倫敦と浅からぬ縁があるのですから、世の中面白いものです。
1840年代にギイスはロンドンに渡って。『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』に、絵筆を執っているのですから。ふたたびパリに戻るのが、1860年のこと。
パリが出てくるミステリに、『ギルフォードの犯罪』があります。1935年に、フリーマンズ・ウイルズ・クロフツが発表した物語。

「わたしはヴィクトリア発八時二十分の列車で、フランスへ渡りました。もちろんニューヘヴンとディップ経由して、パリには翌朝、早く着いた。六時ごろです。」

これはランドという人物が、フレンチ警部に説明している場面。
当時は、ロンドンのヴィクトリア駅を出て、そのままパリの、サン・ラザール駅に着く列車があったのですね。
それというのも、列車が、連絡船の中に。連絡船で英仏海峡を渡り、ふたたび列車で、パリに向う便があったからなのです。
『ギルフォードの犯罪』には、こんな描写も。

「鎖の反対側の端は、わたしのズボンにあけてある特製の孔に通し、短い鋼鉄の横棒でとめてあります。」

これは、クロード・ノーンの、フレンチ警部に対する説明。クロード・ノーンは、宝石会社の社長という設定。金庫の鍵を、どうやって保管しているのかの、説明。
つまり、キイ・チェーンの端が、バアになっていて、このバアを留めておくための、特別のホールが用意されていたのでしょう。
まあ、ウォッチ・ポケットに似たものであったかも知れませんが。
ただ、これを聞くと。ろくに鍵もないくせに、チェーンと、バア、それに合わせるホールを付けてみたい気持にもなってくるのですが。

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