サン・ルイは、巴里にある地名ですよね。サン・ルイ島。セエヌ川のほぼ真ん中に、シテ島と並ぶかのように存在しています。
そもそも巴里という街は、サン・ルイ島からはじまっているのだ。そんな説もあるくらい重要な島なのです。古くは詩人の、シャルル・ボオドレエルがサン・ルイ島に住んでいたんだそうですね。新しいところでは、日本の女優、岸 惠子もお住みになっていたらしい。
ひと言で言って、サン・ルイ島は高級住宅地であります。
昔むかし、サン・ルイ島をこよなく愛した作家が、レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ。
「ふと気がつくとサン・ルイ島の東端にきている。いとしい場所こそ健康によいこよなき慰め! 私はよみがえるような気がした。」
レチフ・ド・ラ・ブルトンヌ著『パリの夜』に、そのように書いています。この時代背景は、フランス革命期。
ブルトンヌは作家であり、奇人でもあった人物で。毎晩、毎晩、パリの街を歩いた。歩いては書いたのが、『パリの夜』なのです。
ブルトンヌがとくに好きだったのが、サン・ルイ島。サン・ルイ島に行っては物想いに耽る。で、その走り書きを、橋の欄干に書いた。今でも、もしかすれば、ブルトンヌの落書が遺っているのではないでしょうか。
レチフ・ド・ラ・ブルトンヌは、1734年10月23日に、ブルゴーニュに近い、サンという村に、生まれています。
1806年2月3日。正午12時に、世を去っているのです。七十二年の生涯だったことになります。
ブルトンヌが、「パリの夜」を歩き、そこで見たことを記録するようになったのは、1767年のことであったという。もちろん、フランス革命のことも詳しく書いています。しかも一庶民の目からのフランス革命を。その意味での『パリの夜』は、貴重な資料とも言えるでしょう。この『パリの夜』の中に、こんな一節が出てきます。
「彼は妻を娶り、サン・キュロットらと結びついて彼らの庇護を受けようとした。」
「彼」とは、ある裕福な、若い、貴族のこと。その若い貴族は、サン・キュロットの娘に一目惚れして、結婚する話が語られています。
ここでの「サン・キュロット」は、貴族に対する「平民」を指しています。
なぜなら、貴族のような脚にぴったりフィットしたキュロットではない、ゆったりしたズボンを身に着けていたからです。
この「サン・キュロット」こそ、今のパンタロンの源であるのは、いうまでもないでしょう。
やや乱暴に申しますと、フランス革命があったからこそ、今、私たちはパンタロンを穿いているのであります。
さて、好みのパンタロンで、ブルトンヌの本を探しに行くとしましょうか。