ピンカートンは、アメリカの探偵会社のことですよね。「ピンカートン探偵社」。
1850年代に、アラン・ピンカートンがはじめた探偵社なので、「ピンカートン探偵社」。
1915年から1922年までの間、「ピンカートン探偵社」で、実際に探偵として働いていたのが、ダシール・ハメット。
狷介な、かのレイモンド・チャンドラーが唯一、尊敬した推理作家が、ダシール・ハメットなんですね。その理由のひとつに、「ピンカートンの探偵だった」ことが、含まれているのではないでしょうか。
ダシール・ハメットは若い頃から胸の病を持っていて。それで「ピンカートン探偵社」の過酷な仕事が続けられなくなった。で、ミステリを書くように。
ダシール・ハメットは尾行のコツを、こう書いています。
「相手の靴を見失わないように」
相手の履いている靴を目印に、尾行する。これがいちばん成功率が高いんだそうですね。
ある時、サンフランシスコの町で、尾行。彼はどんどん山の中に入ってゆく。途中で、道に迷って。彼はとことこハメットの所に来て。
「町の中心に帰る道を、教えてくれませんか?」
ハメットは丁寧に町への道を教えてやったという。
ピンカートンが出てくるミステリに、『恐怖の谷』があります。1914年から1915年にかけて、コナン・ドイルが、『ザ・ストランド・マガジン』に連載した長篇。
コナン・ドイルが『恐怖の谷』を書いている頃、ダシール・ハメットは、「ピンカートン探偵社」で、探偵として働いていたわけですね。
「それにつきピンカトン探偵局が依頼を受けて乗りだし…………………。」
これは、「新潮文庫」の、延原 謙の訳。「ピンカトン探偵局」と訳されているのですが。何度か、「ピンカトン探偵局」として出てきます。
1910年代には、イギリスでも「ピンカートン探偵社」の名前は知られていたものと思われます。
また、『恐怖の谷』には、こんな描写も出てきます。
「マクマードは海員服の横ポケットから、打金を起こしてあるピストルをとりだした。」
ジョン・マクマードは、警部という設定。
「海員服」の右脇に、「ピージャケット」とルビがふってあります。
また、文中の「横ポケット」とは、ピー・ジャケットに付き物の、「マフ・ポケット」のことでしょう。服の中で唯一、堂々と手を入れて良いポケットなのです。
ピー・ジャケットを羽織って。ハメットの初版本を探しに行くとしましょうか。