大岡とオープン・クラウン

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大岡は、人の姓にありますよね。たとえば、大岡昇平だとか。日本の偉大な文士であります。また、小説を書く一方、フランスの作家、スタンダールの翻訳をも手がけているお方です。。
さらに、大岡昇平は、詩人の中原中也とも友人だった人物。当時、大岡昇平は、やはり作家の小林秀雄の後輩でもあって。その小林秀雄から、中原中也を紹介してもらったんだそうですね。
年齢から言いますと。小林秀雄がいて、その下に、中原中也、さらに大岡昇平がいるという順序だったでしょうか。

「しかしこの頃の中也の主な仕事はランボオの翻訳であった。」

大岡昇平は、『中原中也』の中で、そのように書いています。その頃とは、昭和十一年頃のこと。

「何しろ来年二月迄毎日二十行づつランボオを譯さねばならぬのですからたまりません 」

昭和十一年十一月十五日。安原喜弘宛ての手紙に、そのように書いています。

メディオノーシュに、
ブリオーシュにして
   麵包を賣り出すその時に、

これはランボオの『びつくりした奴等』の詩の一節。もちろん、日本語訳は、中原中也。

これはほんの一例で、中原中也は、ランボオを尊敬していたのです。
中原中也のランボオへの傾倒のひとつが、「お釜帽」。
中原中也が愛用した黒のソフト帽。これまた、ランボオがかぶっていたので、それをヒントにしたものです。
「お釜帽」は大正末期の名称で、正しくは「オープン・クラウン」。ほぼ原型のまま、ほとんど細工していない帽子の形なのです。
どなたかオープン・クラウンが様になる帽子を作って頂けませんでしょうか。

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