ポニーテールは、女の人の髪型ですよね。ポニーのしっぽに似ているので、「ポニーテール」。ついさわってみたくなるほど、可愛い髪型です。
昔の日本で近いものを探しますと、「束髪」(そくはつ)でしょうか。束髪は平安の頃からあったものでしょう。
でも、ポニーテールの言い方はやはり戦後になってからのこと。
「赤茶けた縮れっ毛を、はやりのポニーテールに結び、」
石坂洋次郎が、昭和三十一年に発表した『陽のあたる坂道』に、そんな一節が出てきます。これは田代くみ子の髪型として。
ここから想像するに、ポニーテールは昭和二十年代の流行だったのでしょうか。
『陽のあたる坂道』は1958年に、日活で映画化されています。石原裕次郎の主演で。
「二人とも髪型をポニーテールにして、手をつなぎ合っている女の子……」
安藤鶴夫が、1863年に発表した小説『巷談本牧亭』に、そのような一節が出てきます。
『巷談本牧亭』はその年の「直木賞」を受けているのですが。
安藤鶴夫は明治四十一年十一月十六日、今の浅草橋に生まれています。お祖父さんの安藤辰五郎は、シャツ職人だったという。
お父さんの鶴吉は、藝名を「竹本郁太郎」といって、義太夫語りだったそうですから、藝人の血が流れているのは間違いないでしょうね。
通称、「あんつる」。文楽(八代目)とも親友で、よく食べ歩きを。「前川」(うなぎ)、「駒形」(どぜう)、「蓮玉庵」(そば)などへ。
「先のお店はよござんしたねえ、階下の具合なんぞ。」
桂 文楽は「蓮玉庵」でそんな話を。ここではぜひ「先」(せん)と訓むべきでしょうが。
でも、安藤鶴夫はなにも江戸趣味の店ばかりではなくて。西洋料理の「クレッセント」にも。
「スープは、コンソメ。伊勢海老のクリーム煮を、パイに入れる。わたしは、こんな時、パイに、ちょっと焦げめのあるのが好きで、ほんのり、香ばしい、そんなパイが、」
安藤鶴夫は昭和四十三年に書いた随筆『芝公園クレッセント』の中に、そのように述べています。
「クレッセント」は当時、増上寺前にあった高級レストラン。
安藤鶴夫のこの随筆を読んで分かったこと。
「クレッセント」の経営者は、石黒孝次郎。石黒ただのりのお孫。明治の子爵だったお方。
レストランにしては豪華すぎる内外装もこれで、納得。
えーと、ポニーテールの話でしたね。ポニーテールが出てくるミステリに、『オスロ警察殺人捜査課』があります。
ノルウエイの作家、サムエル・ビョルクが、2013年に発表した物語。
「ポニーテールにされた長い黒髪、そして口紅。だがサングラスはしていない。」
これは街でふと見かけた女について。
また、このミステリには、こんな描写も出てきます。
「ミア・クリューゲルはポンポンのついた白いニット帽を長い黒髪の上に深くかぶり、」
「ポンポン」pompon はれっきとした英語。「玉房」のこと。
どなたかポンポンのある帽子を作って頂けませんでしょうか。