坊主は、僧侶のことですよね。お坊さんの意味。
昔は「房主」と言って、住職を指す仏教用語のひとつだったんだそうです。
房主がいつの間にか訛って、「坊主」になったんでしょう。
「お七は母の親大事にかけ、坊主にも油断のならぬ世の中と、よろづに気を付け侍る。」
貞享三年(1686年)二月に出版された『好色五人女』の中に、そんな一節が出てきます。
著者が井原西鶴であるのは、言うまでもありません。
ここでの「お七」は、あの八百屋お七のこと。
年は十六、花のように美しいと説明されています。
それはともかく、西鶴の時代に「坊主」の言葉があったものと思われます。
「猪の出るのは五段目やとか、ありがた山の時鳥とか、いづれあやめとひきぞわずらふとか、坊主まる儲けとか、出まかせな駄洒落を、年中繰返して居る。」
水上瀧太郎が、大正十四年に書いた長篇『大阪の宿』に、そんな一節が出ています。
これは「酔月」という旅館の亭主の口癖。
「酔月」はかかあ天下で、亭主は女房に頭が上がらない。
夜はたいてい二人で、花札。花札の間中、亭主は洒落を飛ばしている。そんな様子が描かれています。
「酔月」には、六つの部屋があって。そのうちのひとつに「三田」が住んでいるという設定になっているのですが。
水上瀧太郎はある保険会社の重役として、大阪暮しを経験しています。その時の見聞が『大阪の宿』の下敷きになっているのでしょう。
坊主が出てくる小説に、『明日なき二人』があります。
1996年に、ジェイムズ・クラムリーが発表した物語。
「その意味では、カトリックの坊主のほうがもっと危険だ。」
また、『明日なき二人』には、こんな描写も出てきます。
「薄いニットのシャツ、編み革のローファー ー もちろん素足で ー やわらかなフェルトのボルサリーノのフェドーラ帽。」
これは私立探偵、ミロ・ミロドラゴヴィッチの着こなしとして。
「ボルサリーノ」Borsalino はイタリアの帽子メイカー。
1857年、ジュセッペ・ボルサリーノが開いた会社なので、その名前があります。
1970年の映画『ボルサリーノ』はご覧になった方も少なくないでしょう。
ジャン・ポール・ベルモンドと、アラン・ドロンとの共演。
ボルサリーノの帽子の特徴は、フェルトづくりからはじめるところ。
今現在では、帽子の一貫工場は、ボルサリーノだけ。
どなたかボルサリーノに勝るとも劣らないフェドーラを作って頂けませんでしょうか。