巳とミッドナイト・ブルウ

巳は、蛇のことですよね。
巳年というではありませんか。
あるいは、「巳の刻」だとか。江戸時代の巳の刻は、だいたい十時頃のこと。
さらには、「巳の方角。これは南南東あたりを指して言ったもの。
古代には蛇を、「へみ」と言った。このへみが短くなって「み」になったんだそうですね。
巳年生まれの役者に、辰巳柳太郎がいます。
辰巳柳太郎は藝名。本名は、新倉武一。
新倉武一は明治三十八年四月十日に、今の赤穂市に生まれています。
新倉武一は若い時分から、演劇に興味があって。
昭和ニ年、当時人気のあった澤田正二郎に憧れて、弟子入り。
その頃、道頓堀の「浪花座」にー澤田正二郎が出演していて。
その楽屋に押しかけて直談判。
それで、弟子にしてもらって。「辰巳柳太郎」の藝名をつけてもらっています。
澤田正二郎が、辰年生まれだったので。
両方の生まれをあわせて、「辰巳」になったものです。
後に、辰巳柳太郎が惚れた人物が、坂田三吉。
北条秀司に頼み込んで、『坂田三吉』の戯曲を書いてもらって、主演。
この『坂田三吉』が大当たりとなったという。
巳年が出てくる小説に、『青い壺』があります。
有吉佐和子が、昭和五十一年に発表した物語。

「巳年か。家内の干支だよ」

これは「省造」という老紳士の言葉として。
また、『青い壺』には、こんな描写も出てきます。

「私はミドナイト・ブルーの夜会服と、藤色のフリルが一杯ついたのを両手にぶらさげて訊きにl行ったもの」

これは老紳士の妻の様子として。
有吉佐和子は、「ミドナイト・ブルー」と書いているのですが。
たぶん「ミッドナイト・ブルウ」midnight blue のことでしょう。
ミッドナイト・ブルウは、夜のように暗い紺のことではありません。
1920年代の、フォーマル・ウエアの特殊な色のこと。
当時の夜間照明の下で、はっきり黒に見えるための紺のこと。
当時の英国皇太子の発案だったと伝えられています。
どなたかミッドナイト・ブルウのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。