蔵とクレエプ

蔵は、倉庫のことですよね。
「倉」とも書きます。また、「庫」と書くこともあるでしょう。
奈良に「正倉院」があるのは、いうまでもありません。国宝がたくさん納められています。
あの正倉院はもともと穀物のための倉庫だったらしい。
それで校倉造(あぜくらづくり)。高床式。もちろん、風通しの良さを考えてのこと。
そうしてみると、蔵の歴史も古いのでしょうね。

「かれ、夢の教へのままに、旦におのが倉を見れば、まことに横刀あり。かれ、この横刀もちて献ぎしにこそ。」

太安葛侶(おおの・やすまろ)が、和銅五年に書いた『古事記』に、そのような一節が出てきます。
これは「高倉下」が、神武天皇に申しあげている言葉として。
「ある夜、夢のお告げがあって。朝になって倉を開けると、たしかに刀が入っていた。それでこの刀を天皇に献上した。」
ざっとそんな意味なのでしょうか。
少なくと今から千年以上前に、倉があったのは、間違いないでしょう。
また『古事記』を読んでおりますと。

「その母ふぢ葛を取りて、一宿の間に、衣・袴また襪・沓を織り縫ひ、」

そんな記述も出てきます。
ここでの「一宿」は、一晩の意味かと思われるのですが。
『古事記』の時代にあっては、藤の蔓を繊維にして、衣裳を作ることがあったのでしょうか。
蔵が出てくる紀行文に、『一外交官の見た明治維新』があります。
幕末に、英國の外交官だった、アーネスト・サトウの書いた歴史書。

「翌日、ミットフォードと私は小松と土井の訪問に対する返礼も兼ねて、川沿いにある薩摩の物産取扱所である蔵屋敷を訪ねた。」

ここでの「ミットフォード」は、アーネスト・サトウの上司だった、アルジャーノ・ミットフォードのこと。
アーネスト・サトウの『一外交官の見た明治維新』を読んでおりますと。

「そして、もくさ塗りという金沢で生産されている面白い漆塗りの品物と、内陸の村で生産されている苧(からむし)の織物を購入した、」

そんな記述も出てきます。
アーネスト・サトウは日本通であり、まるで母国語のように日本語を操ったお方。さすがに観るべき物を観ていますね。
ここでの「苧」は、ラミーの一種。リネンほど繊細ではありませんが、強く、野趣に満ちた素材。幕末の日本では、まだ苧が常用されていたものと思われます。

「私が寝具として使用していた、白いクレープ織りのカバー二枚と、大和織りというブロードで覆われていた日本のマットレス二枚、」

これは大坂から江戸に向う途中での宿での説明。
この時のアーネスト・サトウは海路ではなく、陸路を通っています。とある寺院に泊めてもらったらしい。
「クレエプ」crepe は、もともとフランス語。今では英語でも「クレエプ」と言います。
日本の「縮」(ちぢみ)。クレエプのシャツというではありませんか。
強撚糸を使って織るので、生地の表面に強いシボがあらわれるものです。
どなたかクレエプのシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。