雀は、小鳥のひとつですよね。
「雀の涙」と言ったりするではありませんか。
もちろん、「ほんの少し」のこと。
雀。英語なら「スワロー」。
フランス語なら「ピアフ」でしょうか。
「屋根の上で鳴く雀も、いつもよりいさましさうに聞えた。」
島崎藤村は、大正元年に発表した『千曲川のスケッチ』の中に、そのように詠んでいます。
詩人は雀の声にもなにかの予感を感じることがあるのでしょうか。
雀という名の歌手がいるのは、ご存じでしょうね。もちろん、エディット・ピアフ。フランスのシャンソン歌手。
シャンソンを世界に広めた歌手といっても過言ではないでしょう。
エディット・ピアフは藝名。本名は、エディット・ジョヴァンナ・ガション。ピアフは「雀」のことなんですね。
ジョヴァンナ・ガションは、1915年12月19日に、巴里のベルヴィル72番地に生まれています。
「ベル・ヴィル」を言葉通りに解釈いたしますと、「美しい村」。でも、実際にベルヴィルに行ってみると、けっして宮殿が立ち並んでいるわけではありませんが。ただ、安くて美味しい中華料理店があったりはするのですが。
ピアフの名曲に、『ラ・ヴィ・アン・ローズ』があります。日本語訳では、『ばら色の人生』。1946年の発表。1946年は第二次大戦の直後。よくもまあ、あんなに美しい曲が生まれたものだと、感心するばかり。
感心といえば、『愛の賛歌』もまた。『愛の賛歌』は1950年のヒット曲。「崇高」と形容したいほどの歌になっています。
『愛の賛歌』はピアフの作詞。ピアフの実際の恋人だった、マイケル・セルダンの飛行機事故がきっかけで生まれた曲なのです。
1946年7月7日。ピアフは巴里の「クラブ・デ・サンク」で歌った後、偶然にマイケル・セルダンに会って、一目惚れ。
なぜ、ピアフはマイケルに恋したのか。「ボクシングってなあに? 」とピアフはセルダンに訊いた。その時のマイケル・セルダンの答。
「自分の孤独との戦いなんだ」
このひと言で恋したというのですね。
ピアフが優れたシャンソン歌手であるのは言うまでもありません。そしてまた、多くのシャンソン歌手を育てた人物でもあるのです。
イヴ・モンタンから、ジョルジュ・ムスタキに至るまで。ピアフの影響を受けなかった歌手を探す方が早いのではないででょうか。
若い頃のイヴ・モンタンは巴里ふうの発音ができなくて。ピアフに言われて、小石を口に含んで発音の練習をしたという。
「彼の心は静かな水の面と同じ鏡になつた。そこへ一羽の雀の姿が鮮かに写つた。
川端康成が大正十五年に発表した短篇『雀の媒酌』に、そのような一節が出てきます。
これは雀の姿、人生のあり方を教えられる場面として。
1950年頃、川端康成が志賀直哉と並んでいる写真があります。これを写したのが、土門 拳。場所は、ゴルフ場で。川端康成は白黒コンビの靴を履いて。
白黒コンビ。英語では、「スペイクテイターズ・シューズ」。つまり、「観戦用靴」と考えて。
十九世紀の常識では、白靴は、競技用。黒靴は紳士用。
紳士がスポーツ観戦するので、白と黒とを配合したのですね。
どなたか1920年代のスペイクテイターズ・シューズを作って頂けませんでしょうか。