スフレとスティフ・ブザム

スフレは、料理のひとつですよね。
souffle と書いて「スフレ」と訓みます。
たとえば、卵白などを使って、ふっくら仕上げたりすることです。
もちろん料理とは限らず、ふんわりさせた菓子などにも用いられるのですが。
日本にスフレが紹介されたのは、明治三十六年のことではないでしょうか。

「ついでにモーひとつチースソフレと云ふお料理を申しませうか。其前にソフレーの事を御話し申さなければなりませんが、」

村井弦斎の書いた小説『食道楽』に、そのような一節が出ています。
ここでの「チースソフレー」は、たぶんチーズ・スフレのことかと思われます。
『食道楽』は明治の教養小説。ざっと六百数十種の料理が紹介されているもの。
明治のベストセラーでもありました。
もともとは当時の「報知新聞」に連載されて、人気になった読物。
村井弦斎もこの連載には力を入れていて。そのために、
加藤枡太郎という専門の料理人を雇っていたんだそうですね。
加藤枡太郎は、以前、アメリカ大使館で料理人として働いていた人物。
加藤枡太郎は、村井弦斎のもとで二年ほど働いて、独立。
三田の慶應義塾前に、「食道楽風西洋料理」を開いて、繁盛。もしかしたら福澤諭吉も顔を出したのかも知れませんが。
スフレがお好きだったお方に、古川ロッパがいます。

「ポタージュに、ハムとセロリのトーストに乗ったの、テンダロイン等、スフレーがうまくてお代り。川口の馳走。」

昭和十三年十一月二十三日の『日記』に、そのように書いています。
ここでの「川口」は、川口松太郎のこと。
この頃の古川ロッパは、大阪での公演があって。
大阪のレストラン「アラスカ」で昼食。川口松太郎、
三益愛子などの四人で食事をしています。
では、その前の日の夕食はどうだったのか。

「ハネて、サンボアへ行き引養館のカツレツとオムレツを取って食ふ。帰宿一時すぎ。」

昭和十三年十一月二十二日の『日記』に、そのように出ています。
ここでの「サンボア」はバア。レストラン「引養館」から出前を取っているわけですね。
スフレが出てくる小説に、『ダロウエイ夫人』があります。
1925年に、ヴァージニア・ウルフが発表した物語。

「それで彼女はヒューにスーフレを食べさせ、気の毒なイヴリンの容態を訊き、」

日本語訳者、近藤いね子は「スーフレ」と書いているのですが。
また、『ダロウエイ夫人』には、こんな描写も出てきます。

「かっぷくのいい男たち、えんび服を着、よい身なりをして、ワイシャツ代りの白い胸当てをつけ、」

ここでの「白い胸当て」は、「スティフ・ブザム」
stiff besom のことかと思われます。
正装用シャツの胸元。
硬く硬く糊づけする習慣になっています。
どなたかスティフ・ブザムの美しいシャツを仕立てて頂けませんでしょうか。