洒落者のステッキ
アンブレラは雨傘のことである。昔は「蝙蝠傘」の名前があった。あるいは、「洋傘」とも。
アンブレラ umbrella は、ラテン語の「ウンブラ」umbra と関係があるという。「ウンブラ」は「陰」の意味だから、傘のはじまりはむしろ日傘であったのかも知れない。
英国にアンブレラを流行らせたのは、ジョナス・ハンウェイだとされます。ジョナス・ハンウェイは、十八世紀の旅行家で、慈善家。ジョナス・ハンウェイは1743年に英国を出て、1750年に、帰国。そしてポルトガルから持ち帰ったという傘をさしてロンドンの街を歩いた。これがひとつのきっかけとなって傘が一般的になったと考えられている。
しかし十八世紀の英国人が傘を知らなかったわけではない。ジョナス・ハンウェイよりも前に傘を使ったイギリス人もいるからだ。
「今もいったように所期の目的にそなえるような傘をとうとう一本だけこしらえて、その上を毛皮で張った。」
ダニエル・デフォー作『ロビンソン・クルーソー』の一節。『ロビンソン・クルーソー』は、1719年の刊行。ジョナス・ハンウェイが傘をさしてロンドンを歩く五十年ほど前の話である。
ロンドン・クルーソーは架空の人物だが、作者のデフォーは実在の人物で、少なくとも1719年には傘の存在を知っていたのである。ちなみに「毛皮」とあるのは、羊の毛皮と説明されている。
英語としての「アンブレラ」は、1611年頃から使われていたという。少なくとも1696年の『桶物語』には、「アンブレラ」の言葉が使われている。もちろんジョナサン・スウィフトが発表した物語。
「税関に勤める若い紳士は雨に濡れるのを嫌って、コーンヒルの「ウィルズ・コーヒーハウス」で傘を借りたりしている。」
1709年『フィメール・タトラー』誌12月12日号の記事の一節。当時はコーヒーハウスに傘を置いてあったのだろう。それを賃料を払って、借りる。なぜならその時代の傘はあまりに高価だったから。
ジョージ四世は、淡いピンク地の傘を持っていた。キャノピー(張り布) の端は縞柄になっている。このジョージ四世愛用の傘は、現在、ロンドン博物館に保管されている。
ジョージ四世の肖像を傘のハンドルに刻ませたのが、ボー・ブランメル。それは象牙の把手で、絹張りの傘。同じ絹地で、傘のケーキが用意されていたという。
イギリスでは傘のことを、「ギャンプ』 gamp と呼ぶことがある。これは小説『マーティン・チャルズウィット』に出てくる、サラ・ギャンプの名前に因んでいる。サラ・ギャンプがいつも、大きな、太い傘を持ち歩いていたから。
『マーティン・チャルズウィット』は、1844年に、チャールズ・ディケンズが発表した物語。たしかに十九世紀はじめ頃の傘は、太く、大きかった。鯨の骨を使って、オイルド・クロスを張ったりしたからである。
イギリスでの傘がより細く、スマートになるのは、十九世紀半ば以降のこと。これにはサミュエル・フォックスの発明が関係している。
サミュエル・フォックスは、傘の「骨」に鉄を使うことを考えた。そして、より細く、より強くするために、「U字鋼」に到達する。1852年4月6日のことである。このフォックスの「U字鋼」の登場で、細く、強い傘が完成されるのだ。
ギャンプと並んで、「ブロリー」 brolly もまた、イギリスでは「傘」の意味になる。アンブレラの口語表現であるらしい。
1939年9月29日、ネヴィル・チェンバレンはドイツのミュンヘンにいた。「ミュンヘン協定」のために。チェンバレンは英国を代表して、モーニング・コートを着用。空は晴れていたが、紳士の嗜みとして、手には細巻きの傘があった。
1952年の『雨に唄えば』でのジーン・ケリーは、大雨の中で歌い、踊る。その時の傘はジーン・ケリーの踊りの重要なパートナーだったのである。
1936年のある日のこと。エドワード八世は、バッキンガム宮殿の近くを散歩した。雨が降っていたので、傘をさして歩いた。これは翌日のビッグ・ニュースとなった。自分で傘をさした英国王ははじめてだったからだ。