レストランは、美味しいものを食べさせてくれる場所ですよね。
r est a ur ant と書いて、「レストラン」。たいていの国で「レストラン」で通用するのでしょう。ということは、やはりフランスの影響が少なくないものと思われます。
むかしのフランスのレストランがいったいどんなふうであったのか。
ブリア・サヴァラン著『美味礼讃』には、ひとの例として、こんなふうに紹介されています。
「かれは真っ先に、しょうしゃなサロン、身なりのきちんとしたボーイ、選ばれた酒、上等な料理をそろえた。」
これは、1782年頃に、巴里に開かれた、「ボーヴィリエ」という名前のレストランについて。店主の名が、ボーヴィリエなので、「ボーヴィリエ」と呼ばれたのでしょう。ボーヴィリエは、1754年に生まれ、1817年に世を去った天才料理人。
1800年代、ボーヴィリエはたいていの国の言葉が話せたという。それというのも、各国の王侯貴族が「ボーヴィリエ」に食事じ来たから。
ボーヴィリエは良い記憶の持主で。15年前に一度訪れた客であっても憶えていて、下にも置かぬ丁寧な扱いをしたという。
ブリア・サヴァランは当時のレストランのメニュウも紹介していて。ポタージュの種類は、十二種。オール・ドゥーヴル、二十四種。メイン、八十種。デザート、五十種。これが一流レストランの一般であったという。
作るほうも作り、食べるほうも食べた時代だったのでしょうね。
レストランが出てくる小説に、『夜はやさし』があります。1934年に、フィッツジェラルドが発表した長篇。
「ビュッフェから豊かな食材のにおいが流れてくる暗い煙ったレストランへ、すべりこむようにはいってきたニコルの空色の服は、戸外の天気の一切れがひらひらと迷いこんできたように見えた。」
『夜はやさし』には、また、こんな描写も出てきます。
「彼は革の半ズボン、軍隊用ワイシャツ、登山靴といういでたちだった。」
これは物語の主人公で、アメリカ人の、リチャード・ダイヴァーの姿。どうして「革の半ズボン」なのか。舞台背景が、スイスだから。スイスも、ティロルの民族衣裳を採りいれているわけですね。
スイスでいうところの、「レーダーホーゼン」l ed erh os en 。つまり、「革の半ズボン」。肩から共ベルトで吊って穿くようになっています。
森の中を歩くのに、裾が邪魔にならない工夫だったのでしょう。
もっともレーダーホーゼンでレストランに行く蛮勇は持ち合わせておりませんが。