重語は、重なった言葉のことですよね。誰だって同じ言葉を重ねることはあるでしょう。「白い白馬」だとか。
言葉の調子がいいので、つい見過ごしてしまうこともあります。
ただ、ここでは言葉の間違いというのではなく、一種の言葉遊びだと考えてみましょう。
「馬から落馬」だと。これも重語のひとつでしょうね。
「跡で後悔」。後で悔やむから後悔なので、先に悔やむ後悔というのはありません。ということは「跡に後悔」もまた重語なのでしょうね。
「一時間の間」。これなどは無意識のうちに私なども使っています。すでに「一時間」と言っているのですから、「間」は余計と言えなくもありません。
「夫婦二人」。夫婦は、二人に決っています。二人三人なら怪談になってしまうでしょう。これも「夫婦」で充分ですね。
「急ぎの急用」。急用は急ぐことですから「急ぎの急用」もまた、重語のひとつでしょう。
「お神酒の酒」。神に捧げる酒なので、「お神酒」。「お神酒の酒」とは、面妖な。
「迷子の子」。迷子は、迷い犬ではないのですから子に決っています。
「船の船頭」。電車の船頭がいたら、見せてほしいものです。
「面長な顔」。「面」にはすでに顔の意味があります。でも、つい言ってしまうんですね。「面長な顔」と。
「一言の言葉」。「一言」は、言葉。もうそれ以上の言葉は必要ありません。
「金糸の糸」。金糸は、金色の糸のこと。金糸の糸も、重語ということになります。
「佳き美人」。佳いから美人なので。どこかに佳くない美人がありますか。
「近くの近所」。近所は、近い所。遠い近所はありません。
まあ、知らず知らずのうちに私なども口にしているのでしょうが。
文政元年に出た古書に、『瓦礫雑考』があります。喜多村信節の著書。この中にも、重語の話が出てくるのですね。
「恰好よしといふは重語也」
恰好は、すでに佳いの意味が含まれている。ですから、「恰好よし」とまで言わなくてもよろしいの、意味なのでしょう。
この『瓦礫雑考』の中に。「ひる日中」、「よる夜中」などの例も挙げられています。
喜多村信節の『瓦礫雑考』は、服や食の随筆が多いのも特徴のひとつですが。たとえば、十徳。
「十徳は直綴の略製にて、其名をとなへ訛りしまゝに、やがて十徳といふ名さへ出きし也。」
喜多村信節は『瓦礫雑考』の中に、そのように書いています。
十徳は、江戸時代に、医者や宗匠が愛用した羽織のひとつ。はじめ十徳の上に帯を結ぶこともあったらしい。やがてはその帯も締めなくなって、開放的に羽織った。
無理矢理近いところで探せば、カーディガン・ジャケットでしょうか。つまり布地によるカーディガン。
どなたかカーディガン・ジャケットを仕立てて頂けませんでしょうか。