椀と綿入

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椀は、お椀のことですよね。「お椀のような帽子」というではありませんか。
味噌汁を頂く時にはやはり椀が欲しいものです。輪島がどうしたなんてことは申しませんが。それなりの塗の椀で頂く味噌汁は美味いものであります。
大げさに申しますと、「ああ、日本人に生まれてよかったなあ」と、思う瞬間でしょう。
味噌汁には味噌汁の適温があります。冷めた味噌汁はいけません。が、ほど良い熱さの味噌汁を金属の椀に盛りますと、今度は手が熱くて持てない。木の椀だからこそ、手で持てるわけですね。だから木偏の椀になっているわけなんでしょう。
椀が出てくる小説に、『油地獄』があります。作家の齋藤緑雨が、明治二十四年に発表した物語。

「茶に漬て漸と一椀の飯を済した跡で見れバ、最初一寸口をつけた椀の物の外ハ、白い方のさしみに二片程箸が懸つたばかりだ。」

これは「貞之進」という男が、柳橋の料亭で食事をしている場面として。あまり食欲が湧かなかった様子を描いているのでしょう。
椀が出てくる随筆に、『明治三十三年十月十五日記事』があります。正岡子規が、明治三十三年に書いた文章なので、その題になっているわけです。

「飯二碗半、汁二椀、刺肉喰い尽す。ブランデー一口飲む。」

ここでの「汁」は、薩摩芋の味噌汁。「刺肉」とは、鰹の刺身。
正岡子規は、「碗」と「椀」とを書き分けています。陶磁器なら、「碗」。木なら、「椀」。当たり前といえばそれまでのことではありますが。
正岡子規の随筆は、当時の子規の暮しぶりが手に取るように伝わってきます。また、こんな文章も出てくるのですが。

「この頃余の著物はフランネルのシャツ一枚、フランネルの単衣一枚にて夜も昼も同じことなり、ただ肩をもたげて仕事などする時はこの上に綿入半纏一枚を加う。」

うーん、分かります、分かります。
綿入は、西洋のキルティングにも似ているでしょうか。生地と生地の間に綿を入れてあるので、「綿入」。
綿は綿でも上等な物は、「真綿」。真綿とは絹綿のこと。高価ではありますが、軽くて温かいものであります。
絹地の着物に綿入したものを、「小袖」と呼んだものですね。
どなたか綿入の上着を仕立てて頂けませんでしょうか。

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