ルポ・ライターとルバシカ

ルポ・ライターは、週刊誌などに記事を書く人のことですよね。
ここでの「ルポ」が、ルポルタージュの略なんでしょう。
もっとも今では、「ノンフィクション作家」と呼ばれることが多いようですが。
少なくとも1970年代までは、ルポ・ライターの言葉がよく使われていた記憶があります。

「彼はフリーのルポ・ライターとして、ある通信社から企画記事の取材を依頼されていた。」

五木寛之が、1966年に発表した『蒼ざめた馬を見よ』に、そんな一節が出てきます。
これは「鷹野隆介」という人物の説明として。
以前はある新聞社の記者だった男なのですが。

「昼は出版社につとめ、夕方からは週刊誌のルポ・ライター、そのあい間にラジオの原稿を書くという気ぜわしい暮しをしていたので、一時間たしか五十円払えば半日いても嫌な顔をされないこの店はもってこいの仕事場だった。」

向田邦子は、昭和五十二年に書いた随筆『父の詫び状』に、そのような一節が出てきます。
当時、有楽町にあった、有料喫茶店「ブリッジ」について。
一時間五十円の有料喫茶店。今はもうないのでしょうか。
ルポ・ライターよりも前の言い方に、「トップ屋」がありましたね。
最新の極秘記事を専門に書くので、「トップ屋」と呼ばれたのでしょう。
一時期、梶山季之などもトップ屋と呼ばれたものです。
その後、梶山季之は作家として成功。
梶山季之は、昭和四十六年に、個人雑誌『噂』を創刊しています。
個人雑誌であるからなのか、どうか。『噂』は今、読み返しても、面白い内容が詰まっています。
ひとつの例ではありますが。『噂』創刊号に、『知られざる大宅壮一』の記事が出ています。

「当時、大宅さんは岩倉鉄道学校の夜学の英語教師をしていました。ルバシカなんぞを着こんじゃって、ちっとも教師らしくなかったけれど、」

橘 徳は、そのように書いています。
その昔、文化人の間で、ルバシカを着るのが流行ったもの。
たしか北原白秋も愛用していましたが。
ルバシカは、立襟のシャツ・ジャケット。もともとは、ロシアの民族衣裳なのですが。
どなたか街歩きにふさわしいルバシカを作って頂けませんでしょうか。