天才は、天が与えし才のことですよね。これは天の都合でありますから、はるか下界の人間どもがアレコレ言っても仕方のないことなのでしょう。
天才。誰もが天才と認めざるを得ないお方に、ダ・ヴィンチがいます。もちろん、レオナルド・ダ・ヴィンチですね。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日、イタリアのフィレンツェ近くに生まれています。「ヴィンチ」という村に於いて。それで、レオナルド・ダ・ヴィンチなのであります。
レオナルド・ダ・ヴィンチは、1465年頃s,十二歳くらいで、ヴェロッキオに入門したとのことです。このヴェロッキオは画家にして彫刻家であったと伝えられています。
1473年頃からは、自作の絵を描くようになったとのことです。
1479年にはヴェロッキオから独立して、一本立ちの絵師になっています。
ただ、レオナルド・ダ・ヴィンチが天才だったのは、なにも絵画や彫刻だけのことではなかったからでしょう。機械から印刷、天文に至るまで、その才能を発揮しています。
1515年に、フランスのフランソワ一世がミラノにやって来た時、その歓迎会に、レオナルド・ダ・ヴィンチも出席しています。
いや、単に出席したばかりでなく、フランソワ一世を驚嘆させてもいるのです。
機械仕掛けの金色のライオンを造って。そのライオンはフランソワ一世の前まで来ると、自動的に腹が開くようになっていて、そのライオンの腹からは、百合の花が咲き乱れたという。
このことをきっかけにフランソワ一世は、レオナルド・ダ・ヴィンチを溺愛したという。
「頭はもとより足から脇腹に至るあらゆる個所に房飾りをずらりとつけたのを見たことをわたしは記憶している。」
レオナルド・ダ・ヴィンチは『手記』の中に、そのように書いています。
レオナルド・ダ・ヴィンチの少年時代のことですから、1460年代のことかと思われます。当時、フリンジが大流行りに流行ったんだそうです。
少なくとも天才、レオナルド・ダ・ヴィンチも、流行に関心があったのでしょうね。
天才。天才について、芥川龍之介はこんなふうに言っています。
「天才とは僅かに我我と一歩隔てたもののことである。」
ただこの「一歩」を我々は理解できないのだ、と。
芥川龍之介は散文だけでなく、詩にも才能を発揮しています。たとえば。
あなたはけふは鼠いろの
羊の皮の手袋をしてゐますね
芥川龍之介は『手袋』と題する詩の中に、そんなふうに詠んでいるのです。
羊。シープ・スキンでしょうか。
どなたか天才的なシープ・スキンの手袋を作って頂けませんでしょうか。名前はもちろん「ダ・ヴィンチ」ですね。