ピストルは、短銃のことですよね。
長い銃に対しての、短い銃のことなのでしょう。
pistol と書いて「ピストル」と訓みます。
「ピストル」は1570年頃からの英語なんだそうですね。
もともと「ピストレット」の言い方があって、「短剣」の意味。ここから今の「ピストル」が生まれたとの説があります。
偶然のことではありますが。中世の時代、イタリア、トスカーナ地方の、「ピストイア」Pistoia が銃の産地だったことも関係しているのでしょう。
「ずっと前のことでした。サーシャは、おかあさんにピストルを買ってちょうだいって、ねだりました。かやくで、パーン、いせいよくなるピストルです。」
1950年代に、ニコライ・ノーソフが書いた童話に『ピストル』があります。
そういえば、昔の駄菓子屋に、オモチャのピストルが売っていましたね。
オモチャではなく、本物のピストルを持っていた人物に、坂本龍馬がいます。
「谷川の流れにてうおゝつり、短筒をもちて鳥うちなと、まことにおもしろかりし、」
坂本龍馬は慶應二年の手紙の中に、そのように書いてあります。
龍馬は「短筒」と書いて、「ピストヲル」のルビを添えているのですが。
宛先は、お姉さんの「乙女」。日付は、慶應二年十二月四日になっています。
姉の「乙女」は、その名前とは裏腹に、女丈夫で、武芸の達人でもあったそうですね。
これは龍馬と、妻の「お龍」との新婚旅行の途中での話。
余談ではありますが。日本での新婚旅行は、この時の坂本龍馬がはじめてのことだったと考えられています。
慶應二年三月五日。龍馬とお龍は大坂を船で出て、九州に。これが、新婚旅行。ざっと三ヵ月、九州をめぐっています。
三月二十八日には、霧島温泉にも。この時、龍馬とお龍は、昼飯代りに、カステラを堪能して。
龍馬はなにかとハイカラなお方だったのでしょうね。
慶應元年(1865年)十二月。龍馬は、長崎の写真館「上野彦馬」(うえの・ひこまさ)で、記念写真を撮っています。
この時の姿も紋付袴に、ブーツを履いて。腰には短銃を差しているのですね。
龍馬がピストルを持っていたことは間違いないでしょう。
そのピストルは、アメリカの「スミス・アンド・ウエッソン」の二型であったという。
これは高杉晋作から贈られたもの。高杉晋作は幕末に、上海に。上海で二丁のピストルを買って。そのうちの一丁を、坂本龍馬に譲っているのですね。
ピストルが出てくる小説に、『ゴリオ爺さん』があります。
フランスの作家、バルザックが1895年に発表した物語。
「この獅子のような動作を目にした警部たちは、一同の叫喚に支えられて、ピストルをとり出した。」
また、『ゴリオ爺さん』には、こんな描写出てきます。
「ふだんから薄青色のフロックを着、ピケ織りの白いチョッキを毎日新しいのと取りかえていた。」
これはゴリオ爺さんの着こなしとして。
「ピケ」pique は、縦の畝織地のこと。フランス語ですから最後の「e」の上にアクサンティギュが付くのですが。
白ピケのジレは、今も正装用として用いられるものです。
また「ピケ」にもいろんな種類があるのですが。
どなたか白ピケのスリーピース・スーツを仕立てて頂けませんでしょうか。