「ボウラー」なのか、「ボウラー・ハット」なのか。これはどちらも正しい。「ボウラー」だけでも通じるし、「ボウラー・ハット」でも間違いでは。日本でいう「山高帽」。アメリカでいう「ダービー・ハット」。
「ボウラー」と、「ボウラー・ハット」。イギリスでの日常会話としては「ボウラー」の方が多い。が、書き言葉としては「ボウラー・ハット」の方が頻度が高いのではないか。
もう少しくだけた表現としては、「ビリーコーク」 billykoke というのがある。ただしこれはイギリス人がイギリス人に対して遣うべきかも知れない。日本人が口にしたら、ちょっと気障だろう。
ややこれに似ているのが、アメリカでの「ボウラー」。アメリカ人がアメリカで「ボウラー」と言ったなら、気取りと受けとめられるだろう。アメリカではふつう、「ダービー」という。これは英国の貴族、エドワード・ウイリャーズ・スタンレイに因んでいる。第十六代ダービー伯爵であり、いつもグレイの山高帽を愛用したことによる。
貴族がボウラーを被るのは珍しい。というのはボウラーはどちらかといえば、一般市民の帽子という印象があるからだ。貴族がトップ・ハットに代えて被るとすれば、むしろホムブルグであろう。
「ボウラー・ハッテッド」 bowler hatted という表現がある。それは「除隊」の意味。つまり兵隊から一般市民に戻ったことを指す。
ところでイギリス人はなぜ「ビリーコーク」と呼ぶのか。これはウイリアム・コーク William Coke という人物の註文からはじまっているからである。ウイリアムの愛称は、ビリー。
ウイリアム・コークがその帽子を註文したのは、1850年のことであった。W・コークはある日ロンドンの「ロック」にやって来て、ひと言。「頑丈な帽子を作って欲しい」。
W・コークは英国、レスター州の大地主。使用人たちがすぐに帽子を駄目にしてしまう。使用人たちは作業をするのに馬を使う。馬を走らせると、木の枝などに引っ掛けて、落としたり潰したり。だから「頑丈な帽子を」と註文したのである。
ボウラーのあの丸いクラウンはおそらく抵抗を少なくするためのものであっただろう。と同時に最初のボウラーはヘルメットにも似た丈夫さがあったものと思われる。それはさておき、「ロック」帽子店では今なお「コーク・ハット」と呼ぶ。もちろん最初の註文主に敬意を表すために。
では、ボウラーとは何か。「ロック」は今も昔も帽子店であって、帽子製造業ではない。「ロック」ではヘルメットにも似た帽子の製造を、「ボウラー&サンズ」という工場に依頼したのである。それはトーマス・ボウラーと、ウイリアム・ボウラーとの親子の経営になる帽子工場であった。
話は少し飛ぶのだが。1973年『イヴニング・スタンダード』紙5月2日号に、「ザ・ファースト・ボウラー」という記事が出た。書いたのは、ジェフリー・ロスという人物。この記事に対しての反響があって、それもまた同紙に掲載された。
「ザ・ファースト・ボウラーは私の曽曽父が作った可能性が高い。」
投書の主はサレイ州に住むジョン・ボウラーという人物であった。おそらくはウイリアム・ボウラーの系列につながる人であったのだろう。
1876年に撮ったオスカー・ワイルドの写真が遺っている。ワイルドがオクスフォード大学在学中。そこには当時流行のラウンジ・スーツを着、ボウラー被った着こなしになっている。それはワイルドの「一市民」であることを示す心意気であっただろう。
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