ジャンは、人の名前にもありますよね。
フランス人に多い名前ではないでしょうか。英語なら、ジョンに近いのかも知れませんね。
あえて日本で探しますと、「次郎」でしょうか。つまり、次郎と同じくらいに多い名前という意味で。
フランス文学でのジャンなら、ジャン・コクトオがいます。ジャン・コクトオと友人だった作家に、サルトルがいる。
また、ジャン・コクトオと大親友だったのが、映画俳優のジャン・マレエ。
サルトルはなぜ、コクトオと親しくなったのか。
やはり作家のジャン・ジュネのことから。ある時、ジャン・ジュネが囚われの身に。このジャン・ジュネを救おうという運動に、サルトルが参加したから。
たったこれだけを考えてみても、いかにフランスにジャンが少なくないかが、よく分かるでしょう。
そうそう、サルトルもまた、ジャン・ポール・サルトルなんですからね。
コクトオは1889年の生まれ。サルトルは1905年の生まれ。ざっと十六歳ほどコクトオがお兄さんだったことになるのですが。
サルトルがコクトオに出会ったのが、1944年のこと。以来、1963年にコクトオが世を去るまで、親しい関係だったという。
「たとえばコクトーが私はとても好きだった、コクトオとは一九四四年に知りあって、最後までよく会っていた。彼が死ぬ数日前にも一緒に夕食をとっている。」
サルトルは1975年6月21日の談話の中で、そのように語っています。これはサルトルが七十歳になったことを記念してのインタヴュウだったのですが。
コクトオは1963年10月11日に、七十四歳で、人生の幕を下ろしています。
ピアフの訃報を耳にして。シャンソン歌手のエディット・ピアフは、1963年10月10日に死去。
このピアフの死を聞いて、ショックを受けたらしい。
新聞記者はコクトオに、ピアフの死についての談話を採ろうと、電話。コクトオは言った。
「君が来た時、すべてを話すから。」
これが電話での最期の言葉になったという。
コクトオの小説に、『山師トマ』があるのは、ご存じの通り。1922年にコクトオが完成させた物語。この中に。
「あたしの好きなものは、着物ならシャルムーズ。」
これは貴婦人、ド・ボルムの科白として。
「シャルムーズ」charmeuse は、薄く、柔らかい絹地。
大正十四年に、今 東光が発表した『痩せた花嫁』にもシャルムーズが出てきます。
「すてきなシャルムーズがあるのよ。」
これは当時の横濱「高島屋」の生地売場に置いてあったので。
どなたかシャルムーズのスーツを仕立てて頂けませんでしょうか。